1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 断捨離狂騒曲
  4. (50)夏よ来い

(50)夏よ来い

夏の飲み物でいつも困っていた。
梅雨から盛夏にかけては、けっこう微妙な天候が続く。真夏日かと思えば変にうすら寒かったりして。
むし暑い夜、何でもいいから冷たいスカッとしたものがほしいと思って、見つからないのはつらいものだ。アイスクリームやジュースでも甘すぎる。水というのもちょっと淋しい。
結局、がぶ飲み、丸かじりして渇きをいやせるのは、私の場合はすいかと麦茶だ。
ところがこれがまた、なかなかうまく行かない。暑い日にスイカのパックを買いこんで涼しい日がつづくと、つい放置して味が落ちたのを食べることになったり、その翌日に今度は暑くて死にそうになって、昨日食べてしまったスイカを恋い慕う夜を過ごすことになる。
麦茶の方はパックをジャーに入れて冷やしておけば、さほど問題はないが、今度は季節の調整が難しい。あれは安いから、当然一袋が大量だ。年金暮らしの身としてはありがたいが、私のような一人暮らしでは、秋になってもまだパックがかなり残っている。
まあお湯をわかして熱い麦茶を秋の夜長に飲むのも悪くはないが、こちとら、田舎の家から引き上げてきた大量の荷物の中から出てきた、古い緑茶や紅茶の始末にも忙しいので、そうそう麦茶ばかり飲んでもいられない。
いやーもう、考えて見ればぜいたくな悩みではある。

まだ在職中で、収入もそこそこあり、その分ストレスも当然あり、気分転換に街をぶらついて買い物をすることも多かったころ、多分、福岡は天神の地下街かどこかで、おしゃれな小さい水筒を買った。もうその店も多分あるまい。
私は気に入ったものは、つい二つ買う癖があり、この水筒も薄いグリーンに緑の模様と、ベージュにオレンジの絵のついたのとを買った。何度かコーヒーを入れて会議に持って行ったような気もするが、結局あまり使わないまま、二軒ある家の古い方の台所のすみに置きっぱなしていた。
もしかしたらインテリア代わりにどこかの窓辺においていたこともあったのか知れない。グリーンの方はそうでもないが、オレンジの方はふたの色がかなりあせている。
それでも、かわいいし便利そうだから、寄付やバザーに放出するとき、毎回候補になりながら、なぜかそのまま置いていたのは、まだちゃんと使えるか自分で試してみてからにしようと思っていたのだったろう。
毎朝、気分次第でコーヒーか紅茶か緑茶を飲む。一杯ではあまるので、二杯目三杯目も飲むが、そうすると一日中同じものを飲むことになり、別のものを飲むにしても、毎回葉っぱを捨てるのが面倒くさい。
何かのはずみか気まぐれで、私は上の台所から持って来た二つの水筒に、残ったコーヒーを入れて冷蔵庫に保管してみた。
そうしたら、これがなかなかばっちりで、量もちょうど葉っぱや粉がくたびれるまで出した分がおさまるし、毎回の食事や一日中持ち歩いて飲むのにも便利だしカッコよくて、私はすっかり気に入った。ふたがしっかり閉まるので、倒れても心配ない。小さいから冷蔵庫のどこのすき間にも突っこんでおける。
忘れていたが、ふたには、指を入れたり金具でとめたりできる輪っかがちゃんとあるので、ひょいと食卓に持って行くのも、使わないとき、壁のフックにかけておくにも好都合、いいとこずくめなのである。

処分しないでよかったよお、と目を細めてながめていて、でも猛暑になってくると、この二本だけでは一日がしのぎきれないかもなあ、と先憂後楽を地で行く私は、またちょっと心配になった。
昔の私なら、そしてあの店がまだあったら、きっと色違いのをあと数本買っていたろう。危ない危ない。
金銭的にも時間的にも、そんな大胆なことはもうしなくなっている私は、代わりの似たようなものがないか荷物の中を探してみた。実際、このところの私の暮らしは難破船からいろんなものを拾い出しては洞穴に運ぶロビンソン・クルーソーの生活を連想させる。そして、田舎の新しい家を建てた後で、母が古い方の家から何やかやとがらくたを持ちこもうとするのを「汚いからだめ。ゴキブリを連れてくる」と怒って許さなかったり、叔母の死後、親戚の人にマンションをゆっくり見分させないで、とっとと荷物を処分してしまったりした自分は、そういう楽しみを奪ったのだなあと気がつく。
どっちも、他にしようがなく、やむを得ない状況だったから、後悔や反省はしていない。ただ、あのころ他人に許さなかった楽しみを、自分は心行くまで味わっていると思うと、それにともなう、もろもろの苦労もまあ自業自得かなと、あきらめたりもする。

で、そう迷うこともなく思い当たって見つかったのは、叔母の遺した台所用品の中のプラスティックか何かでできた保冷パックのセットだった。平たく丸いのが二つと、飲料水用の長いのが二つ。上品な色違いで、手ざわりも風情も上等そうだったが、長いこと使ってなかったのか(一度も使ってなかったのかもしれない)どれも固くて、ふたが閉まらなかった。
田舎の家を片づけるとき、大学時代の親友が手伝いに来てくれたのだが、家具がなくなって木目の美しさが目立つ広い部屋に二人で座りこんで荷造りをしていて、ときどき怠けて二人でおしゃべりしたりお茶したりしていた。その時にも、荷物の中から見つかったそれを、何とかあと一息で閉まりそうなのになあ、と二人はだらだら努力して息抜きをしていた。
結局、一個もふたは閉まらず、「本当にあと少しなんだけど」「それだけしっかり密封できるようになってるんだよな」と二人で言いあったのは、どこか見るからに高級そうな、そのパックの様子に、あっさり見限ってごみにするのは問題外と言う気持ちがあったからだろう。
「きっと、お湯であたためたら閉まるんだよ」と、家事万能の友人は言ったが、彼女も私も疲れていて、いろいろ性格は真反対でも、そういうときのだらけ方だけは波長が合う二人だったので、キッチンまで行く気力はなく、床に座りこんだまま、その容器を保存用の荷物に入れた。

あれかな、と思ってさがして見つけ、洗って暖かさが残るコーヒーを入れたら、ふたの固さは別にしても何だか閉めにくくこぼしそうな外見だよ、と思っていたのに反して、いかにもちゃんとしっかり、ぴったりふたは閉まった。飲み口も同様にきちんと閉まり、さかさにしても横にしても、まったく中身はこぼれなかった。
さてこそ、と私は前の水筒と計四本の保存飲料入れで、紅茶やコーヒー、緑茶の残りを冷蔵庫に常時保存することにした。
量的には、これでちょうど、一人の一日から二日分の確保はできる。
行き当たりばったりに入れるので、飲んでみないとコーヒーか緑茶か何かわからないのがまた面白い。たしか今朝はこれに紅茶を、などと、トランプの神経衰弱みたいなあてものを、一人でするのも緊張感があっていい。
きっとこれで、夏がのりきれる。でも、そうなると、安心したついでに、麦茶もちょっと飲んでみたくなったりするのをどうしよう。(2018.6.5.)

Twitter Facebook
カツジ猫