(55)待ってたよ!
かれこれ一年以上前になるが、余りにに余って家じゅうのいたるところから出てくるポケットティッシュを始末するのに、最適のフォルムの緑色の器を見つけたことを書いた。取っ手のついた水差しだが、ぷっくりとふくらんだ胴体がティッシュをうまくとめてくれて、つっこんでおいてテーブルにおいて、ふきんやナプキン代わりに使うと、好都合にどんどんはける。何より、あちこちからポケットティッシュが見つかったとき、やった!と思ってうれしくなるのが、とてもありがたかった。
あれから一年、本当に、どこからでも際限なくわいて出て来ていたポケットティッシュはほとんど見えなくなった。まったくなくなったら、どうしようと夢にも思わなかった心配をしていたら、近所の百円ショップで、ちゃんと売られているのがわかって一安心したのも、昔を思えば嘘のようだ。
テーブルの上でフル回転で働いている緑色の器だが、他の場所にも同じようなものがほしいなと、いつも思っていた。これまた戸棚いっぱいにある、さまざまな器をさがしてみたが、どれもぴったり来るものはない。これこそはと思った四角い陶器の器も、ティッシュがまとまって出て来てしまうので、だめだった。「あれだけ図書館に本があっても、こちらが求める必要なことが書いてあるものは一冊もないことが多い。だからこそ、百年誰も見なくても、百年目にさがしに来る人のために、本は集めて保管しておかなくてはいけない」と常日頃、学生たちに言っているし、「ネットにあれほど情報があふれているように見えても、本当に必要なものはまったくなかったりする」ということも実感しているが、それと同じことを思い知らされた。
ものを増やすのは本意ではないが、こうなったらと思って、街に出たときは、ときどき雑貨屋などをのぞいてさがしていた。しかしこれまた、ぴったりと思えるものには出あわなかった。まあ、そういう、どうでもいいものを探して回るというのも、ショッピング気分を味わえて悪くはなかったが。
先日、二階の寝床代わりの棚のそばにつるす、薄いカーテンを買おうと、博多駅のデパートのよく行く店に立ち寄った。目当てのカーテンはもう売れていたので、メーカーに注文してもらうことにして、手続きをしてもらう間、そのへんをながめていたら、棚の上に、あの緑色のお役立ち器と色もかたちもそっくりの、ただちょっと小ぶりのカップがあるのに気づいた。水差しではなく、ただのコーヒーカップだが、これなら行けると、見た瞬間に直感した。
私は舞い上がっていたので、少々高価でも買ってしまったろうが、もともとセンスがいいのに価格がリーズナブルな品物だらけのお店なので、その器も千円もしなかった。私は興奮していたので、レジで注文するとき思わず、「こういうの、探していたのよ。ポケットティッシュを入れるのに最高でね」とかまくしたててしまい、店員は何だかのみこめない顔をして「ああ、はあ」みたいに、あいまいに笑っていた。
さっそく帰って、ティッシュを入れてみた。前任者の器より一回り小さいのだが、入れておくティッシュの量が少なくなるだけで、何の問題もなく、同じように理想的な状態で使用できた。コーヒーカップとして使ってもらえないのは不満かもしれないが、その分汚れることもなく、何よりテーブルの上においた様子が、かわいくて、風変わりで、華やかでよい。こんなに待たれて、歓迎されるカップというのも、そうそうはあるまい。
で、写真をとったのだが、これまた前の器と同じく、微妙で深い色合いが、撮るたび違って、実際の魅力がなかなか浮かび上がらない。それもまた、多分まったく無関係の出自なのだろうが、前の器と何かつながる縁があるような気がして、信頼できる…いや私も相当アホだと書いてて自覚はしているが。
そういうわけで、今この器は、二軒ある旧宅の居間のテーブルで仕事にはげんでいる。新宅の大きめの先輩の器の、分家か出店か同盟国か、とにかく持ち場で末長くがんばってほしい。(2018.7.10.)