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(86)カトラリー集団

高三のころ、受験勉強の虚しさに頭に来て、週刊朝日の読書欄にヤケ半分の投書をした。そうしたら、多分百通にあまる、さまざまな方からのお手紙をいただき、その中の何人かとは、それからもかなり長い間の文通をした。
当時の私は、そのくらいの反響がどのくらい大きなものなのかわからなかったし、実は今でもよくわからない。もしかしたら、かなり珍しいことだったのかもしれない。そして、そのせいか、それとも掲載した投書の主には皆そうだったかもわからないが、「週刊朝日」と名の入った、スプーンとフォークの五本セットが送られて来た。

母は喜んでいたような気がするが、私は投書した受験勉強への怒りが、まだ治まっていなかったので、それほど気にはしなかった。だが、銀色のすっきりしたデザインは美しかったから、大事にはしていたし、大学に入って家を離れる時も、持っていった。
そのまま、ずっと使っていて、今もあるが、さすがに数本なくなっている。一本は、ケーキを食べた後で、ケーキの箱に入れたまま、うっかり捨ててしまったのに、あとで気づいてかなりくやしかったのを覚えているが、他のはいつなくなったのか覚えていない。

田舎の家にも数本ずつのスプーンとフォークがあったし、叔母がかわいいからと、模様付きの柄のものを買ってきてくれたり、私の就職後、ちゃんとしたものがいるからと、立派な店でコーヒースプーンとフォークを買ってくれたりして、少しずつ増えた。
カレー用の大きなスプーンは田舎に何本かそろっていた。一時期流行した、超能力者ユリ・ゲラーのスプーン曲げがインチキという記事を読んだ私が、母の目の前で「かんたんに曲がるのよ」と言って、その記事通り、何本かをくにゃっと手で曲げてみせ、母が「あら、ほんとやねえ!」と感心したのを覚えている。自分用のは時々、気まぐれに町で買ったりしたことはあったが、あまり本数がそろっていたことはない。そもそもめったに自炊をしなかったし、人に作って食べさせることなど、まずなかったから、必要も感じなかった。

叔母が亡くなって、マンションの荷物を引き取ったとき、服も食器も雑貨もすべて、膨大な数だったので、目がくらんで気がつかなかったが、そういうものをいろいろと人にあげたりして減らして行く内に、だんだんいやでも目について来たのが、けっこうな数の大小さまざまのスプーンやフォークの山だった。私はもうそこまでは考える気力がなく、とにかく、すべてひとまとめにして、叔母の立派なライティングビューローの引き出しの中に入れていた。
その書き物机も、めでたく若い同僚がもらってくれることになり、文字通り、ひとかかえもある、大小さまざまの、スプーンやフォークやナイフの山を、とりあえず箱や袋につめこんで、私は町の自分の家に持って来た。そこにはもう、田舎の家で使っていたものや、私が使っていたものも、いろいろ、まじりこんでいた。

今考えると、早い段階でとっとと整理をして、人に差し上げたりしてしまわなくて、ずっとそうしてとっていたのは、私がやはり、そういうカトラリー類が、どことなく好きだったからだ。自分が食事を楽しんだり客に食べさせたりすることはない、つまりそういうものを使いこなす生活をしていないからなおのこと、無用の長物に対する、あこがれのようなものもあった。
フォークもスプーンも皆それぞれに、微妙にかたちが違っていた。打たれた刻印、柄のしなり、丸みを帯びた先のとがり方、似ているようで同じものはひとつもなかった。
今でも思い出すが、叔母は私にスプーンとフォークを買ってやると言って店に連れて行ったとき、「どれがいい?」と一応は聞いたものの、服や靴を買ってくれるときと同様、結局は私の好みなど無視して、自分の気に入ったものをさっさと選んだ。それは、放っておけば私が選んだだろうものより、ずっと平凡で無駄のない、だがすっきりとした上品なデザインで、私は何となく叔母を見直したものだ。いくつかは、特徴のある派手なものもあったが、叔母の遺したカトラリーの大半は、その時に買ったのと同様、嫌味のない、それでいてどことなく人をひきつけて、飽きさせない魅力があった。

今年の初め、大学で指導した学生の一人で、今は研究者として大学に勤務している男性の、指導学生の女性が、私の書いたエッセイを読んで共感し、会いに来てくれた。孫弟子とでも言うべき彼女と、私は彼女の先生、私の学生にあたる彼のワルクチを言う邪悪な楽しみも含めて、たいそう楽しい会話をしたが、彼女が就職して故郷を離れるという話を聞いて、すわこそと、ふとんや食器をもらってくれないかと持ちかけた。彼女が承知してくれたので、私は天にものぼる思いで、余っていたふとんやクッション、ぬいぐるみまで、ダンボールにつめまくって送りつけるという暴挙に出た。食器や雑貨もかなり送った。絶対に迷惑だったろうと思うが、おかげで私の家の方は、かなり画期的に片づいた。

しょうもないものを送る罪滅ぼしに、カトラリーも送れば少しはつぐないにもなるかと思ったので、私は彼女に選んでもらったものを中心に、何種類かのスプーンやフォークのセットを送ることにした。
だが、予想はしていたものの、これがまた、単純ではない。
居間のテーブルの上に、ずらりと並べて、同じものを選んでそろえて行くのだが、認知症予防のパズルもかくやと思うほど、どれも似ていて、どれもちがう。私はこういう作業は嫌いではなく、実は好きな方なので、音を上げる前に一人で何度も笑ってしまったぐらい、絶望的に数が多くて、区別がつかない。

私は、無生物のモノにすぎないモノたちに、変な感情移入をするのだが、そのわりに、このカトラリーの類には、「こうやって私のところで髀肉の嘆をかこつより、早く誰かのところで働いて華やかなテーブルの上で活躍したいだろうに」というようなことを全然考えなかった。だから、ことカトラリーに関する限り自分は感情移入はしないのかなと思ったこともあったのだが、こういう仕分け作業をやっている内にそうでもなかったことに気づいた。
結局、私がこの仕事を先延ばしにしていた原因の一つは、うっかり中途半端に何本かを人にあげたりしたら、同じセットやグループのなかから一本か二本だけ残されてはんぱになるものがあるかもしれない、それは気の毒ではあるまいか、という思いが、どこかでブレーキになっていたのだ。
やるなら一度徹底的に時間をとって、完璧に同種のものをそろえてしまってからでないと、とても人には引き渡せない。家のどこかからひょいと出てくる可能性のある内は、その作業にはかかれない。だから今まで待つしかなかったのだ。

そういうことも納得しながら、数日かけて、似たものどうしをまとめて行った。ちょうどリボンの切れ端がたくさん余っていたので、そろったものは、それで縛ってまとめた。彼女に送る荷物に入れた残りの分も、もう二度とごちゃごちゃにならないようにしておく必要がある。
ならばいっそ、と思いついて、近くのイオンでガラス瓶を山ほど買いこんできて、それに入れて保管しておくことにした。見た目も何だか面白くなりそうだったからだ。これがまた、高さと長さがいろいろで、あれこれ困らせられたが、最後は何とか全部が瓶におさまった。古い木箱とお盆とに並べて入れて、古い家の方の白いタイルの台所の棚においたら、それなりの眺めになった。木箱の前に画鋲でくっつけてあるのは、お盆のときに供えたお菓子の入っていたかごで、これは水仕事をする時に、指輪を外して入れておくのに使うのである。

「週刊朝日」の文字の入った、残り数本も、きちんとまとめて、どの瓶かに入っている。ふだんに使う何本かは、別に流しの引き出しに入れてある。母が一人で田舎の家にいたころに使わせていたら、一時期どんどん数が減って、誰かに持って行かれたのかと心配したりしたのも今ではちょっとなつかしい、木製の柄の小さいフォークもここにある。
なお、この他に、いつだったかの学年の女子学生が卒業記念にプレゼントしてくれた、黒い木箱に入ったカトラリーのセットがあって、これだけは、箱ごとそのまま棚に保管してある。でも、もうずいぶん昔のことだし、彼女たちは果たして覚えているのだろうか。(2019.7.31.)

 

 

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