(89)猫部屋の風景
現在わが家にいる猫は、長毛種っぽいアメショー柄のカツジと、ロシアンブルー風の灰色猫のグレイスと、大柄でどこやら洋猫風の白黒猫マキの三匹だ。カツジは牡でそろそろ十歳、あとの二匹は雌でともに十八歳になる。おばあさん猫たちは去年、市から高齢動物の表彰を受けて、立派な表彰状と記念品をもらった。ひょっとして人間よりもいい待遇なんじゃないか。
表彰式のとき、私は以前に博多駅のデパートで買って、カツジをびびらせた、猫の顔の形をしたピンクの帽子をかぶって行った。十七歳以上ぐらいの動物を表彰するらしいのだが、百人以上の市民が式に来ていた。動物は連れてこられないので、皆飼い主が代理である。
ひとりひとり、壇上に登って賞状と記念品を受け取るのだが、それなりのよそ行きを着ている人もいれば、まったくの普段着の人もいて、そのちぐはぐさもふくめて、のんきないい雰囲気だった。記念品もセンスがよくて、置き時計とタオルで作ったワインとバラの花だったりした。こんなことに予算を使ってる場合かと思わないでもなかったが、まあしょうもない道路や建物を作ったりするよりは、罪がなくっていいのかもしれない。
高齢者になると免許返納以上に気にかかるのが、ペットを飼うのをいつやめるかということだ。ペットロスで悲しむ人は多いが、私は彼らをあとに残して死ぬのに比べれば、私の腕に抱かれて死んでくれた方が、よっぽどおたがい幸福だと思えてならない。幸いグレイスとマキは意外に長生きしたものの、普通に考えて私より先に死んでくれるだろうと安心していた。そこへカツジが舞いこんでいっしょに暮らすことになり、まあ計画なんて常にそんなものだろうが、猫のいない余生をゆっくり過ごして、身体のまだ動く間に世界旅行にでも行って貯金を使い果たしてやるという、私の夢はあえなく消えた。
何しろ猫を飼っていると、エサ代やトイレの砂代、医療費と、本当に一万円札があっという間に飛んで行く。母が死んだ後も家を売った後も、ずいぶん経済的には介護や維持にかかる費用がなくなって、息がつけたが、これで猫がいなくなったらさぞや豊かな生活を送れるだろうというのが、老後の楽しみのひとつである。
とは言え、飼っているからには、それなりの面倒を見ないと、こちらとしても気分が悪い。
もともと扱いにくくて小心なカツジもたいがい私をいらつかせて、いろいろリフレッシュさせてくれるが、グレイスはそもそも私の嫌いな人好き強引甘え猫で、しかも、こいつは子猫の時から、見た目の高貴さと裏腹に、どことなく「きちゃない」猫である。自分の糞をおもちゃにしたり、汚れた場所で平気で寝たり、することに常に猫らしい潔癖さがない。子猫のころは気が合わずにうるさくて、私はけっとばしたりぶったり、けっこう虐待していたのだが、それでも全然めげないで、甘えつづける鈍感さがこれまた大嫌いだった。マキの方は、拾ってしばらくはそうでもなかったが、そのころはたくさんいた他の猫たちにいじめられたりして、どうしてそうなるか知らんが、猫だけじゃなくて人間嫌いになり、家の中で野良猫化して、私にはしっぽも触らせない。
ずいぶん前の一時期には私はグレイスを二階に、マキは書庫に閉じこめて、トイレの掃除もあまりしないで、エサは適当に与えてほぼ完全に放置していたことがある。やかましく甘えるグレイスはとにかく、マキは何ヶ月もまったく姿を見せないで、書庫の本のどこかの陰に身をひそめていた。エサを補充しながら私はよく、「ベン・ハー」の小説で、暗黒の牢獄に閉じこめられた主人公の母親と妹のことを牢番が「食事がなくなっているから生きてはいます」と上司に報告する場面を思い出していた。
今でも感心するのだが、二匹ともそんな中で本や資料を汚したり、飾ってあるものを壊したりすることはまったくなかった。ひどい飼い方をしていたのに、私は恵まれた飼い主でもあった。
私はときどき自分のことを、「放っておいたら、いつかその内には仕事にとりかかる」人間だと基本的には認識している。まあそれで、これまで何とかうまく行ってきたのは周囲が優しく世の中が甘く運にも恵まれていたのだろうが、いつか最後にこのつけが回ってくるかもしれないとは心のどこかで思ったりもする。
で、何がきっかけでそうなったかはわからないが、ろくでなしの父親がふと悔い改めるように、私も何だかこのままではいけないような気持ちになって、いろいろと猫たちの生活空間の改善にとりかかった。
そのころには、黒猫のアニャンやナッツウ、バギイの三兄妹や、三毛猫のシナモンもいた。皆が外猫で、家の中には一番陽当たりのいいフローリングの一部屋以外には入れないでいた時期もある。
あれこれ、いろんな過程があって、ナッツウが家出し、バギイとアニャンは病気でなくなり、田舎の家から引き取った、赤きじ猫のみかんとモモも、それぞれ死んだ。賢くてしっかり者のシナモンも私に抱かれて最後まで立派に息をひきとった。
そうやって、二匹残ったグレイスとマキを、私はフローリングの南向きの二部屋と、それに続く大理石(じゃなかったっけか、あれは)張りの立派な物置、金網を張りめぐらせた三畳ほどの外庭で飼うことにした。
この間、猫エリアの事情をややこしくした一つは、グレイスの他の猫と共存しない性格だった。一見うまくやっているように見えても、私がいないところでは、他の弱い猫をいじめて追い出して、自分が快適なエリアを全部占拠するのだ。そして私に甘えて独占しようとする。そういうところも彼女は「きちゃない」印象を私に与える猫だった。
最初はマキを庭と物置、グレイスを二階とその下の部屋において、住み分けさせていたのだが、二階に洋服を全部収めてクローゼット化したのにともない、グレイスを二階から締め出して、庭に面したフローリングの一部屋で飼うことにした。狭くなった分、快適にと、叔母の上等のベッドの上に何重にもペットシーツや布を重ねて彼女に使わせ、アウトレットで買った古い木のテーブルをその上にかぶせて、トイレとエサ場にし、猫の草をいつもおいてやることにした。マキも、物置だけでは寒かろうと、フローリングの書庫の小部屋にも立ち入らせることにした。
それからもう数年になる。グレイスが一度ちょっと体調を崩した以外は二匹は元気で、言っちゃ何だが死ぬ気配もない。「人とつきあわない分、ストレスもないし最高の環境なのでは」と言う人もいる。あーあ。
それでも次第に年をとる二匹にここ数年の暑さや寒さはこたえるだろうと、最新式のエアコンに買い換え、酷寒や猛暑の時期には、エアコンをつけておいてやる。物置に行く入り口にはカーテンを垂らして熱気や寒気を防いでやっている。
二匹の性格も、このごろ少し変わって来た。去年、庭の手入れをしてくれた若い男性が猫好きで、仕事のかたわら、マキにかまって手懐けようとしてくれた結果、彼女は何とか身体をさわらせるようになった。彼が去ってからは私が放置しているので、元に戻ってしまったようだが、それでも前は無言だったのが、エサを催促してヒステリックな大声で叫ぶように鳴くようになった。どうかすると、エサを食べた後でも鳴いていて、これはもしかしたら甘えたがっているのかもしれない。
私はこの鳴き方は好きじゃないし、もしかして身体がどこか痛いのかしらと心配だし、そうかと言って近づくとやっぱり逃げてしまうので、病院にも連れて行けず、放っておくしかないのも気になるが、いいこともあった。あのやかましいグレイスが、マキの大声に圧倒されたのか、しーんと静かになってしまい、すりついて甘えて小声で鳴くだけの私好みの猫に変わってしまったのだ。まあどことなく「きちゃない」のは前と同じだが。
最初に書いた高齢者猫表彰の記念行事は、市内の動物病院からの報告によって、お招きがあるらしい。グレイスはカルテが不完全だったせいか、フライングで一年まちがえて早くお知らせが来た。私と病院が確認して結局一年延期した。
グレイスにわかるはずもないが、何だか彼女がかわいそうだったので、ちりめん布のかわいらしい首輪を前祝いにと買ってつけてやった。とてもよく似合ったのだが、それも古びて来た。そろそろ新しいのを買ってやらなくてはならない。
マキの方はもちろん首輪なんかつけさせるどころではないが、ひょっとがんばって手懐けたら、死ぬまで何とかなるだろうか。
居間と格子で隔てられているグレイスが、入りたそうにするのを、私は「待ってねー、その内こっちが片づいたら、おまえを入れてやるから、いっしょにテレビを見ようねー」とかずっと言って聞かせていたのだが、どうにか家も片づいてきたし、彼女がまだ元気な内に、その約束も果たしてやらないと。
大好きだった金色と白のキャラメルが八歳の若さで死んだとき、私はきっと、どうせ私はこうやって好きな猫とは早く別れて、最後にいっしょに暮らす猫は、室内ノラ猫のマキか、気の合わないグレイスか、全然好みじゃない一匹になるんだろうな、まあ人生そんなもんだろうなと妙にあきらめてしまった。そんな目で私に見られているのを知ってか知らずか、二匹は今日も元気に暮らして、心外ながら私をほっとさせている。(2019.8.2.)