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(93)木馬のバスマット

絶対ものは増やすまいと思っていても、ついうかうかと、買ってしまうものがある。
この小さめのバスマットを、私はどこで買ったのかよく覚えていない。今はもうなくなった福岡の新天町のフランスの雑貨をおいている店か、博多駅のアミュプラザのビルに入っている、エスカレーター前のインテリアの店か、はたまた自宅近くのサンリブの中にある雑貨の店か。どうしても思い出せないのは、きっとこんなもの買っちゃいけないと思いながら衝動買いしてしまった、うしろめたさのせいだろう。

第一、バスマットなら叔母の残したものや、自分で買ったものが、かなりあった。
名古屋の大学からここ福岡は宗像の大学に移って、まだ田んぼや畑の多かった、地元の人の家が並ぶ中に、福岡のご夫婦が隠居所として建てて使わないままになっている、平屋の家を借りて住むことにしたとき、間取りや全体の感じはスマートだったが、かなり古びたその家に、叔母は私が到着したとき、もう来ていて、当時はまだ珍しかった、大きな丸いピンクの毛足の長いバスマットを、玄関や台所や、家のあちこちにおいて、掃除をしていた。私はその暗い家の中で、花のように明るく輝いていたピンクのマットが忘れられず、洗濯を重ねてすっかり色あせてしまっても、今も変わらず使っている。叔母の家にたくさんあった動物のアップリケをしたバスマットの多くも、すっかり使い古されて、ライオンの顔などとれてしまっていたりするのだが、それもやっぱり使っている。

その家は二年ほど暮らしたあと、近くに建売の家ができたので、買って引っ越した。今住んでいる二軒の家の、古い方の一軒がそれだ。
暮らした時期は短かったが、西日が強い廊下や、玄関横のフローリングの書斎にしていた部屋や、大きなクモやムカデが出没してうんざりした暗い居間など、どこか昔の洋館風のなつかしい感じがする家だった。引っ越したあと、近くなので、ときどき行ってみたこともあるが、数年後には壊されてなくなった。今でもよく夢に見て、トイレや玄関を模様替えしたり、家の前の庭の手入れをしているのはいつも、現実には消えてしまったその家だったりする。何度も同じ夢を見るから、多分、絵や図面も書けるだろう。
建売を買った家も、間取りは自由に修正できた。何度か訪れた母も気に入っていた、その借家の間取りを取り入れてもらったから、どことなく、その面影もあちこちにある。

その、建売の家の風呂場の脱衣場に、ときどき小さなバスマットがむしょうに欲しくなったりして、安物を何枚か買った。これも何だか捨てがたい。
他にも、昔々のその昔、初めてインテリアらしきものに気をつかいはじめたころ、多分名古屋のどこかで買った、オレンジページという文字の入った紺色のタオルのようなものもあれば、猫が三匹並んだもの、猫がラグビー選手のかっこうをして並んでいる多分外国製のもの、とりとめもないものばかり、どうも、バスマットというものは、すりきれてぼろぼろになっても、それがまた奇妙な魅力を生むもののようだ。

それでも、ここしばらくは、ずっと買わなかったのに、その赤と緑の小さい木馬の模様がある、多分子供部屋用のマットをふらふら買ってしまった私は、結局これといった置き場も使いみちもないままに、それをもう人手に渡した田舎の家の物置の床に敷いていた。物置と言っても立派な建物で、持ち主になった友人が、書庫として私に使わせてくれている。もう一軒の田舎の家を買って下さった方が、とてもきれい好きでいらして、この物置もていねいに掃除し管理して下さっている。

今年の猛暑で、私は庭の草木に毎日せっせと水まきをした。去年も同じことをしていたはずなのに、なぜか今年は花が増えたせいか、ホースが水漏れしたせいか、足が汚れて泥でぐちゃぐちゃになることが多かった。
二つの家の玄関には、これまた叔母の持っていた、かなり上等の敷物を敷いている。叔母の大きなマンションのあちこちにあって、片づけを手伝って下さった方のお一人がかなり欲しそうにしておられた。私はたいがいのものはどんどん人にさしあげていたので、これも当然そうするものと期待されたのかもしれない。私をよっぽど、ものの価値のわからないお人好しのお嬢様だと思っていたのか、なめんじゃねえよと、かすかに思った記憶がある。
その後、田舎の家のあちこちに置いて重宝していたのだが、家を売却した後で、置く場所がなくなったので親戚がもらってくれて、私はわりと薄手の小さいものだけを何枚か残して使っていた。

それが玄関に敷いてある。泥足で上がるわけにはいかないので、バスタオルを敷いていたが、来客がある場合のためにも、もう少しかわいいちゃんとしたものを置きたい。
そこで、あの木馬のバスマットを思い出した。ついでにもうひとつ、やはり田舎の物置に置いたままにしていた、これも大昔に私が買って気に入っていた、ぶどうの形の小さい薄いバスマットも思い出した。
あの二枚をとってくれば、この役割にぴったりではないか。というわけで、忙しい中、あれこれ時間を工面して、田舎に戻り、二枚のバスマットを持って来た。
置いてみたら、大きさもちょうどよかった。これなら、珍しいしかわいいし、風変わりで、若干よそ行きっぽくもあるし、この用途にはぴったりだと、私は計画と発想がうまく行った喜びに酔いしれた。ぶどうのマットと交代で使えば、汚れたときにもすぐ洗濯できる。

ここで終われば、とっても話はめでたいのだが、実はその後、私は福岡の岩田屋に行ったとき、高いからいつもはめったに行かない地下街のコンランショップで、もちろん高いが、手の届かない値段ではない小さめのバスマットを見つけて、高級店で買い物できる喜びに負けて、いろんなデザインのを数枚買ってしまった。地味だが上品なその一枚を、上の家の玄関の敷物に重ねておいて、満足と罪悪感にひたりながら、いろいろ若干複雑な心境ではある。(2019.8.6.)

 

 

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カツジ猫