1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 断捨離狂騒曲
  4. (94)がたがたの小引き出し

(94)がたがたの小引き出し

田舎の家は、もう売却してしまったのだが、買ってくれた友人が、敷地内の物置を私に使わせてくれているので、ときどき行って、書棚の本を読みながらソファで羽を伸ばしている。古い週刊誌や漫画、文学全集などがあって、けっこう楽しめる空間だ。
そこに長いこと、多分学生時代から使っていたのではないかと思う、見るからに安物の小引き出しの棚をいくつもおいていた。

他にも、書棚やカード用の細い背の高い棚、そこそこ上等のガラス張りの書棚などもいくつもあったのだが、いろいろな段階で全部人にさしあげてしまった。今の私の二軒の家は食器棚も書棚も全部作り付けになっていて、大半はベニヤ板を打ち付けた荒っぽいものだが、空間の無駄がまったくないのがありがたいし、もしかしたら、地震対策の壁の強化になっているかもしれない。

この数個の小引き出しだけが残っていたのは、なんぼなんでも人にあげるには古びているし粗末すぎると思ったからだ。なぜか、いつ混じりこんだかわからない、古い分厚い木製のものも一つあり、共同生活をしていた友人が残して行ったのか、誰かが置いて行ったのか、もう何ひとつ記憶がない。これも、人にあげるのは傷みすぎているが、それ以外の比較的新しいものは、さらにぺらぺらで安っぽく、どう見ても何の魅力もない。誰だって、あっという間に処分して、燃やしてしまいそうな代物である。

一時期、貝原益軒の書簡を図書館でコピーさせてもらった膨大な資料を入れていたこともある。それももう、とても研究している時間はないと、後輩に譲った。今は古い手紙がつめこまれているが、中をしっかり確認したこともない。
それなのに、なぜか今の家に持って行こうという気になったのは、とりあえず取っておくものをつめこむのにいいかもしれないと思ったからだ。というよりも、不意にまったくの出来心で、置きっぱなしにしていたそれとのつきあいに、けりをつけたくなったのかもしれない。

車で運んで、上の家の、あまり使わない、第二玄関の土間においたら、どの引き出しもきちんと開かず、支えの横木も腐ってはずれて、上の引き出しがいくつも下の段に落ちこんで重なっていた。貼りつけてある木目模様の板もあちこち、はがれかけていた。
それでも、ここまで運んで来たら、何となく処分したくはない。
私はしばらく放っておいたが、ある時思い立って、とにかく引き出しを直してみようと考えた。だめもとで、中身を出してひっくり返して見ると、引き出しを支える横木の釘が錆びて腐ってはずれており、しかし横木は落っこちてそのまま残っているので、とりあえず小さい釘を見つけて、横木を打ちつけてみた。

一ミリでもずれたら引き出しが入らなくて悪戦苦闘するのかなと思っていたら、もともと雑な作りだったからなのか、さほど苦労もせずに、引き出しは全部ちゃんとさしこめるようになった。そうなると、ますますまた捨てる気がしなくなり、結局その中にあった古い手紙を処分して、いつも散らかりがちだった、電池や釘や金槌などの大工道具の入れ場所にした。

処分した古い手紙は、すべて私自身のものだった。「青春が美しいとは決して言わせない」とポール・ニザンが「アデン・アラビア」の冒頭に書いているが、小説を通して知り合って、会ったこともないままに熱く語り合った友人たちの手紙の数々を見ていると、本当にろくな感情はよみがえらず、当時のいらだちや不快さがめらめらと立ちのぼって来て、なるほど青春というものはろくなもんではないと思いつつ、私は何の未練もなくそれらを引き裂いてごみ袋につめこんだ。そもそも取っておいたのも、なつかしさや慕わしさなどではなく、有吉佐和子が自分の小説を批判した記事を壁に貼って、日夜それを見てはげみにしたというように、こんなのが不快で捨てるなんて情けない、負けてなるかという思いで残していたのがほとんどである。
まあどうせ私も相手に似たような手紙を送っていたのにはちがいない。それはどうなっても別にいいが、そういう自分の手紙も重ねて破っている気分で、そのように捨てて忘れて平気なものがあるというのも、ぜいたくな喜びのようではあった。

あれから五十年あまりたち、私の性格も丸くなったと言えば聞こえはいいが、ずるくなりしたたかになり、情け容赦なくなった。こんな苦労もいつかは役にたつだろうと思って我慢しておく発想が、人間関係ではもはやもうまったくない。とっとと遠ざかり、さっさと縁を切る。そう言えば、もう何十年も前、学生の一人に「私こんなに他人がうるさい、一人がいい、とばっかり思って生きてて、最後は罰があたって孤独にあえぐ人生とかになるんやろうか」と言ったら、お寺の息子で人情肌の彼はまじめな顔で、「ほんとに罰があたりますよ」とご託宣をくれたっけ。あの頃からもうそろそろ私には、そういう傾向があったのだろう。

もう一つ思い出すのは、田舎の家にあった、いくつものたんすのことだ。代々伝わるものすごく大きなものから、母がそんなに高くもない新しいのを買って、「これはほんとに買ってよかったと思うのよ」と、浮き浮き喜んで洋服をつめていた小さめのものなど、さまざまだったが、結局皆、人にさしあげた。その頃の私は髪振り乱して獅子奮迅の片づけモードに入っていたから、その中にまじっていた、多分叔母のものの、とても立派な桐かなんかのたんすも惜しむことなく手放した。

もらってくれた大工さんが、「知り合いがとても喜んで大工道具を入れるのに重宝している」と言ったのを聞いたとき、初めてちらと、座敷の隅に置きっぱなしていたそのたんすの、他とちがった重々しい気品を思い出し、ちょっとだけ、もう少し使って楽しんでもよかったかなと思った。少なくとも、その立派さを一度は自覚してやるべきだったと反省した。
でも、どっちみち私には使いこなせなかったろう。大工さんの知り合いも大工さんかどうかは知らないが、大事な道具を入れて使ってくれているのなら、きっとその方がいい。

同じ大工道具を入れるのも私のは、このまだ何となくしっかり閉まらないで、がたがたがたついている、荒々しく行き違いばかりだった青春そのもののような小引き出しが似合っている。そして偶然だが、あの桐のたんすと同じような使い方になっているのも、多分何かの縁だろう。(2019.8.12.)

Twitter Facebook
カツジ猫