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(96)ひとりよがり

田舎の築百年に近い古い家の横に、母の隠居所にしようと新しく家を建てたころ、私はほとんど自炊をせず、もっぱら外食生活だった。だから台所や食器棚というものに何の理想もイメージもなく、作りつけの食器棚を大工さんにお願いした時も、電子レンジの置き場所さえ確保してもらえればいいと言っただけで、他にはまったく何の注文もつけなかった。

使いやすかったのかどうかさえ、今思い出してもわからない。レンジの横の小さい開き戸の中の二つの棚に入れた茶碗や皿だけで、私と母の食生活は充分成り立っていた。
それから何年かして、今度は今いる町の家の前の小さい土地が空いたので、そこにまた、母を引き取るための小さなワンルームの家を建てた。田舎の家を建てたのと同じ大工さんが出張して来てくれて、小さいが前の家とどこか似た、がっしりたのもしい家を建ててくれた。

台所もあいかわらず、私は料理をしないので、こだわりもなく、特に注文はつけなかった。それでも、白に近い薄いピンクの流し台はなかなかきれいだった。その横にまた作りつけで食器棚を作るとき、めんどうだったのもあって、田舎の家とまったく同じかたちにしてもらった。つまり、ほとんど使わなかったから、不満や反省が生まれる余地もなかったのである。

そしてまた、適当に使って何年かたって気がつくと、なぜか私は三度の食事をほぼ完全に自分で作り、外食をまったくしなくなっていた。
どうしてそうなったのかわからない。いつからそうなったのかさえ記憶にない。好きな人に食べさせようとか思ったこともまったくない。でもいつの間にか私は野菜も肉も魚も自分で調理し、ネットのレシピを横目で見ながら、何種類ものおかずをテーブルに並べるようになっていた。

私は母からも誰からも、料理を習ったことがない。中学生になるまでマッチをすったことがなく、大学生になってもご飯の炊き方を知らなかった。つまりまあ当時のほとんどの男性と同じだったと言っていい。
それは私の精神を、どこか非常に不安定にしていたと思う。以前、「洗い、片づけ、捨てることとは」というエッセイ(「私のために戦うな」に収録)で書いたが、料理と言うのはすべて科学の実験にひとしく、いくら理屈を並べても、水をわかせばお湯になり、卵をフライパンに落とせば目玉焼きかオムレツに近いものはできる。その確実さは、現実の頼もしさを思い知らせて、気分をとても楽にする。

その一方で、本を読めばすべてがわかると思っていた私は、料理の本を読んで何かを作ろうとしても、あまりにもあたりまえのことがわかっていないため、最初ハムエッグさえも作れなかった。今ならネットでも本でも、私のように何もわかっていない人を想定して書いてくれているが、当時は初心者用の料理本でも、当然わかっていることとして、省略されていることが多く、まあそれはパソコンのマニュアルでも同じだが、そこが知りたいと思うところが何も書かれていないのである。
本の書き方がていねいになったのか、私もそれなりに何か学んだのか、次第にそれにも慣れた。ちなみに大学生のころ私がよく作っていたのは、豚肉の塊をコーラの中で煮込むのと、市販のプリンのもとを鍋いっぱいに作って、どんぶりに入れて冷蔵庫で冷やして食べる、その名も「どんぶりプリン」だった。名前がついているということは、友人たちにあんな恐ろしいもの、ふるまったことがあったのかしらん。

母は、料理はやれば得意だった気もするが、あまり熱心ではなかった。しかし自分の好みの味ははっきりしていて、それはかつて住んでいた長崎の味だった。一度私と二人で、昔住んでいた家や通った小学校を訪ねる旅行をしたことがあり、その時二人で泊まったどうということはないビジネスホテルの前の、どうということはない中華料理の店で食べた料理を母は絶賛し、「長崎はどこで何を食べてもおいしい」と、後々までもくり返した。たしかにそこの料理はおいしかったし、母と私の味の好みは多分似ていたのだろう。

その好みの味ということなら、今私が自分で作る料理は、どれもこれも非常においしい。他人にそれが通用するかどうかは疑問だが、どこのレストランで食べる高価な料理より、自分の作った怪しげな料理の味が最高と心から思える私は、多分とても幸福者だ。ネットや本のレシピは一応見るが、味つけやさじ加減は常に適当で、きちんと量ったことなど一度もないのに、ほぼ間違いなく理想的な味わいになってしまうのはなぜだろう。
いやまあさすがにこれは幻想かもしれないから、人に食べさせてこの幻想が消えたら困る。だから今後もきっと私は自分の手料理を人にふるまうことはあるまい。

そうやって一人でうっとりしている内、ここまでちゃんと食生活を確立したのだから、食器棚も少しはそれらしく、整えてもいいのではないかという気になった。昔、田舎の家で使っていたもの、叔母が残した高級品、自分が好きで買っていたもの、などさまざまだが、使うものだけを置いて、残りは上の家の食器棚にしまって、気分が変われば入れ替えることにした。

 

最低のものしか置かないとなると、まあ片づけというのはいつもそうだが、自分がどんな人生を送り、どんな日常をめざすかということまでも決めておかなくてはならなくなる。どの程度客を招くのか。親しい人に出すお茶や軽食はどの程度のものか。朝食はどういうメニューか、夜食はどうか、などなど。
客はせいぜい二三人以上にはならない。食事を出すことはしない。あくまで私のためだけの食事用。一応そういうことを決めてから、なるべく少ない数で食器類をレイアウトし、棚の奥には余っているふきんやカレンダーから切り抜いた絵を適当に貼った。感じを確かめるために、適当にありあわせのものを貼ったのだが、そう悪くもなかったので、結局今もそのままになっている。

今のところ、これはうまく行って、まだこの配置は崩れていない。これをこわしたくないから、新しいものを買う気にはなれず、結果としてものが増えないのもいい。
そして、何となくうれしいのは、子どものときに田舎の家で使っていた熱帯魚の模様の大ぶりな湯のみや、古風なラーメンどんぶり、叔母のケーキ皿と紅茶カップ、私が買ったイマンの食器類など、異民族の共生する街のようにどれもが平気で入り混じっていることだ。大げさすぎるかもしれないが、自分の人生まちがってなかったんじゃないかと、ながめるたびに、ひょっと思ってしまったりする。まったくもう、もともと得意でなかった分野では、人は安易に自己満足になりやすい。(2019.8.13.)

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カツジ猫