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(97)なつやすみの、しゅくだい

私は一人が好きで家にいるのが好きだったから、基本的に学校は嫌いだった。夏休みは大好きで、いつまでも続けばいいと思っていた。今から六十年以上も昔のそのころは、日本もまだそんなに暑くはなく、エアコンなどなくても別に困らなかったから、なおさらだった。

広い家の回りには、森のように木々が茂る大きな庭があり、その周囲一面の田んぼから吹いてくる風は涼しかった。井戸につるして冷やしたすいかを食べ、川で水遊びをして毎日はそれこそ踊るように過ぎて行った。

そうかと言って休みが終わる悲しみも特に感じたことはない。多分そのころの子どもは皆そうだったと思うのだが、どうにもならないいやなことをあきらめて、受け入れるのに私は慣れていた。

宿題はそれほど出ず、「夏休みの友」とかいう薄っぺらい大判の冊子があっただけだった。毎日日付を書きこんで、いろんな科目の課題をこなす形式になっていたが、それを私は最初の一週間ほどで全部片づけてしまって、後は遊んで暮らしていた。中身はほぼ何一つ覚えていないが、どのページかに、「大分」という地名の由来が書いてあって、何とか天皇がこの地を通りかかって、「広大なるかも(広くて大きい土地だなあ)。この地は『碩田(おおきだ)』と呼ぶことにしよう」と言ったのがはじまりだということは、それまで知らなかったので、へえと思って、今でもそこだけは忘れていない。

それとは別に自由研究というのもあって、毎年、近くの海に遊びに行って拾った貝殻の標本を作ったりして提出していた。今でもその時の名残りの、鉛筆で「つめたがい」などと書いたラベルをはった貝殻が、時々あっちこっちから出てきて、他のどこかで拾ったらしい貝殻といっしょに、ガラスのつぼに入れて玄関に置いてある。

五年生か六年生のときには、母に勧められて新聞の題字を切り抜いてスクラップブックにはりつける蒐集をやった。あまり面白いものでもなかったが、スクラップブックがいっぱいになるほど、どうしてか集まりはしたのは、あのころ新聞は多かったのだろうか。多分共産党の「アカハタ」も、野依秀市という右翼の大物が出していた「帝都日日新聞」もあったはずだ。どちらもわが家は購読していた。子どもにわかる部分でも、真反対の主張を読み比べるのは楽しかった。

夏休み明けには、学校の講堂で、その自由研究の展示会が行われ、優秀な作品には金賞や銀賞の紙がはりつけられる。そんな催しはその時だけだったのかどうか覚えていないが、私の題字集めは金賞だった。同じ学年のよそのクラスの担任の先生が、生徒を連れて、その会場でいろんな作品の解説をしていたので、私もついて回って聞いていた。
先生は私の金賞の題字集めの前で、指示棒をさしながら「これはまあ、集めたというだけのもので」とつまらなそうに片づけた後、もう一つの私が提出した、大きな模造紙何枚もに、世界地図を描いて、読んだ小説の舞台となった地名を指摘した作品を指して、「これはすばらしい。大変な研究だ」と、興奮気味に語った。

私は体育や家庭科では劣等生だったが、その他では優等生で、ほめられるのはあたりまえと同級生は思っていたから、皆別に感動も驚きもなく聞いていた。私もそんなものかなあと思っただけだった。どうせそれも母のアドバイスで作ったものだったろうし、数百に近い作品は皆大好きな読み物で、その舞台を調べるのは楽しかったが、地図に矢印で書きこむのは、不器用な私にはうっとうしい作業だったから、認められて少しはうれしかったかもしれない。

家を片づける中、膨大な荷物の中から、その模造紙も丸めて筒にして、紙ひもでしばった姿で現れた。一枚は虫に食われたのか汚れて破れていたが、他はおおむね無事だった。鉛筆の文字も色あせていたが、何とか読めた。
さすがに捨てる気にはならなかったが、相当大きいものだし枚数もそこそこ多いので、どうしたものか決心がつかず、そのまま棚の上に放り上げて長い時間が過ぎた。どうにか家が片づいてきた時、それをどうするか決断を迫られて、とうとう私は前にもいろんなものを額に入れてもらった、福岡の新天町にある額縁屋に相談して、破れて汚れている一枚も含めて全部をパネルに入れてもらうことにした。それだと軽いから、何とかどこかにかけられるだろう。

ところが、そうやって広げて見ていると、おかしなことに気がついた。小学校の時のものだけではなく、ほとんど同じ形式だが、もっと後になって作ったものも明らかに混じっている感じなのだ。
そう言えばと、そこで初めて思い出したが、何でそうなったかわからないが、私は中学校のときに、また同じことをやって何枚もの地図を作った。そして先生はそれを教室の後ろの壁の一番高いところに、ずっと張りっぱなしにしてくれていた。
小学校とちがって、私と同じぐらいの成績の優等生は男女ともに何人もいたが、読書ということでは私はやはり飛び抜けていると思われていたから、これまた誰もそのことを珍しがらず、特に注目もせず話題にもせず、私もそれを当然と思っていた。

一度、何かの時間によそのクラスの先生が後ろに立ってそれを見上げて、話題にし、私に「ちょっと難しい本を読みすぎているのではないか」と尋ねた。多分「チボー家の人々」があったのを見て言ったのだろう。私も正直、「チボー家の人々」の全部がよくわかっていたわけではないが、思わず「でも、そこに書いた本は、どれも何回も読み直したもので、中身もだいたい覚えているから」と答えた。
先生は「そうですか」とだけ言って引き下がったが、あとでどこかで「聞いてみたら、あの難しい本を何度も読んで覚えていると言っていた。ものすごいことだ」と私のことをほめまくってくれていたらしく、私は「チボー家の人々」を、そんなに完全にわかっていたかしらんと、ひそかに自分の大風呂敷にびびった。

この先生は一度、学内で読書感想文を皆が書いたとき、ある同級生の男子生徒が書いた「坊っちゃん」の感想文を、よくできていると思わないか?と、わざわざ私を呼んで見せたことがある。考えてみれば光栄なことだったかもしれない。実際ものすごくよくできている感想文だった。ところが、これがまた、たまたまだが、私は図書室で適当にいろんな本を読んでいたとき、どの本かに収められていた感想文の中に、同じものがあったのを覚えていた。やはり男子生徒の作品で、「坊っちゃんは、明治の人であった」という感じで、その行動や考えを批判している、いわば江戸時代の偏痴気論で、面白かったから印象に残ったが、特に感心もしなかった。

今でいうコピペをした同級生は、字数に満ちたところで引用を打ち切っており、「坊っちゃんは明治の人であった」という一文が最後になっていて、それが偶然のインパクトも生んでいた。私が「これは、どの本かにあったのを見たと思う」とひかえめに指摘した後も、先生は驚きながらも、「でも、この文章はいいでしょう」とくり返していた。
その後、男子生徒に確認したら、コピペを認めたらしくて、先生はまた私を呼んでそれを報告し、「よくわかりましたな」と感心した。私ははあとかええとか、あいまいに返事して引き下がったが、そんなこともあって、先生はますます私の読書量に幻想を抱くことになったかもしれない。その感想文のオリジナルを私が見ていたのは、まったくの偶然だったが、伝説はこうして作られて行くものだ。

二度にわたってその読書地図を作り、しかも二度目は忘れていた私が何とか思い出せたのは、多分かなり読書家で国語が好きだった、その二人の先生と、薄暗く広い小学校の講堂と中学校の教室の天井近い壁の部分の記憶のせいだ。建物と人間は、こうやって人の記憶をおぼろな時の流れの中に、しっかりピンでとめるのだろう。

パネルはそこそこしあがって、軽いだけに何とか車で運べもしたが、予想通り、かける場所に困った。何しろ巨大で、十枚以上ある。
あっちこっちにかけてみていたが、いくらかはさすがに圧迫感がありすぎて、外して壁にたてかけている。その内に書庫代わりの田舎の物置を整理するとき、インテリアとしてかけたらいいのではないかと思って、持って帰ってみるつもりでいる。

今住んでいる町の家の、小さいワンルームの建物に、二枚だけはかけている。叔母の小だんすの上のこの一枚は、二回にわたる、どちらの時期のものかはわからないが、他の地図のように作品がずらりと下に並んで色違いの矢印で世界各地に舞台を示す形式ではなく、特に好きだった作品をとりあげた(「タルタラン」は、そんなに好きでもなかったのに、なぜか作っている)特別バージョンの一枚だ。シャーロック・ホームズの各事件を図にしている間に、「ウィステリア荘」はホームズが失踪していたはずの時期の設定になっている作者のミスも発見した。
これはベルヌの「海底旅行」で謎の潜水艦ノーティラス号が旅した世界の海の航路である。あちこちに「大ダコと戦う」とか「渦にまきこまれる」とか説明がつけてある。

手前においてある置き時計は、何かの作文コンテストの賞品で、大昔にとまってしまったのをそのままにしていた。額縁屋と同じ新天町の時計と宝石の店に持って行って修理できないかと頼んだら、年配の職人さんが、これは自分が若い時最初に勤めた会社の製品ですと、とてもなつかしがって思い出話をして下さり、ていねいに時間をかけて下さったのだが、結局直らなかった。
中身を全部交換することも考えていたのだが、それだけ心をこめて修理して下さったその方のことを思うと、その機械もまたこの時計の一部だし、そんな方の手に触れたのを最後の記憶として長い眠りにつくのもよかろうと、そのまま飾ることにした。ただし手前にはこれもずいぶん前に買った、携帯用の小さい時計をおいて時間を見られるようにしてある。写真が入れられるようになっていて、三毛猫の故シナモンが子猫の時、花の中で遊んでいる姿を入れてある。(2019.8.30.)

 

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カツジ猫