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「じい散歩」を読んで

流行語大賞なんて、もともとあんまり興味もないし、今年の受賞を見ても、あー、高市首相かいわいがどうせまた山ほど金を使ったんだろうと、とっさに思うだけだけれど、反射的に浮かんだ石川啄木の歌が、逆に頭からはなれないで困る(笑)。

働けど働けどなお我が暮らし楽にならざりじっと手を見る

さて、家の片づけの合間につい読んでしまった未読の文庫本の数々だが、これも面白かった。藤野千夜『じい散歩』ってやつ。

これ「団地のふたり」と同じ作者なんですね。どちらもドラマになってるのか。見てはいませんが、どんな雰囲気に仕上がってたんだろう。気になる。
 「団地のふたり」のときも、たしか原田ひ香さんの解説を読んで、とても明るい楽しい小説のように紹介されてて、もしかしたら、そんなトーンで書いてほしいという要望があったのかもしれないけど、「そうか?」と何となく思った。「これって、めっちゃ暗くて先がない恐い話じゃないか。そこがいいんだけど」と思った。

「団地のふたり」の主人公の女性二人はまだ若いけど、どちらも人生で一番輝いていた時期は多分もう過ぎている。敗北者、負け組、リタイア、何でもいいけど、ある種の隠居状態だ。住んでるアパートも高齢化、老朽化していて、先の見通しはあまりない。その中で悟りを開いてあきらめて、のんびり楽しく暮らしている二人の女性の日常は、よく考えたら、ものすごく先がないし、希望もない。
 どちらも、それぞれ能力はある。性格もいいし聡明だし生活力もあるし、精神的にも安定している。有能で判断力もあり、どこに出してもどんな仕事をしても、ちゃんとこなして行ける人たち。もちろん家庭に入っても子育てしても。

でも二人は自分たちを落伍者とも脱落者とも思っていない。二人だけでなく、そういう問題を抱えていたりうかがわせたりする人は登場しない。こんな人って多いのだろう。そういう人たちが国を社会を支えているのだろう。欲望や野心を持たず、はやばやとすべてをあきらめて、自分の暮らしにゆったり集中している賢くて優しくて強い人たちが。

これを幸福と見るか地獄図会と見るか私にはわからない。どんなに栄華をきわめ名声を得てトップにのぼりつめ歴史に名を残す人も、とどのつまりは、これと大して変わらない人生で毎日なのかもしれないとも思う。

「じい散歩」はさらにそれが徹底する。高齢の主人公は仕事をやめて人生を楽しんでいるが、かつて愛して今も愛している妻は嫉妬深くて認知症気味、三人の息子はそれぞれに笑っちゃうほどみごとに、まともではない、世間の基準で言えば落伍者や異端者だ。
 主人公はそのどれにも、昭和の男らしいようならしくないような、俗っぽさと冷酷さと寛容さで接し、散歩とポルノと女性好きとに楽しみを見出している。それなりに悠々自適で満足でこれも幸福と思えないことはない。骨太で、堂々として、ゆらがない価値観と度胸もある。

「団地のふたり」同様に、この生活とこの老後にも、見方によっては徹底的に救いがない。しかし日本の近代小説のような、懊悩も深刻さもまったく浮かび上がらない。できそこないの息子たちや壊れつづける妻を抱えて、男は弱音も愚痴も吐かず、歯も食いしばらず、悲しみもしない。鈍感なまでに、その状況の中で楽しみ、人を楽しませる。あくまでもつつましく、何の野望も屈折もなく。これはこれで、究極の幸福かもしれないと見えてくる。そしてまたやはり、こういう人たちが世の中を支えているのだろうなと実感する。
 ネットの感想コメントはおおむね好評だが、つまらなくて読むのをやめた、どこが面白いかわからなかったといった批評も散見する。それはまったく不思議ではない。これはそういう拒否感や絶望感も生む小説だ。太宰治の「ただ、いっさいは過ぎて行きます」のしめくくりと同じような諦念と楽観と妙に脂ぎったパワーも漂う、不思議で愉快な恐い話である。

だけど私は好きですね。どこがいいのかわからないが(笑)。

あー、そう言えば高市首相の「世界の中心で輝き尊敬される国をめざす」のイメージが私はとんとわからなくて、鈴蘭高校の「てっぺんとったる」しか思い浮かばん、とずっと思っていたが、つい調べたら、少し前に一世を風靡した「クローズ」って漫画の話なんですねこれって。私は多分、映画館の予告編で見たのだわ。おかげで、本家の漫画もちょっと読んでみたくなったけど、そんなに時間も残ってない老後に、二十六巻もある長編を読むのはそれこそ自殺行為だろうな。

この写真の花が庭のすみに生えてて、最近「しんぶん赤旗」の園芸欄で、名前を知りました。ヒメツルソバと言うんだそうです。

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カツジ猫