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「ウェスト・サイド・ストーリー」新作の感想など

嬉しくなっちゃうじゃないか。だんだら毛虫に食い荒らされたと思っていたスノードロップは、こんなに元気に満開に白い星のような花を咲かせた。

昨日がこうだったから、一日で花が増えているのがわかる。でもどうやら水仙と同じで、この花も毎年背が高くなって、大きくなるみたいだな。昔はもっと小さい茂みだったのに。

「ウェスト・サイド・ストーリー」の新作だけど、なかなか感想が一口に言えない。旧作に比べて、いろいろとリアルで迫力があって重い。冒頭の、口笛とともに町が上空から俯瞰されるシーンで、前作ではそれなりに美しくも見えた町並みが、とりこわされることになっている廃墟になっているのがすでに、そこに住む移民や住民や若者たちの、殺伐かつ荒涼とした行き場のない心象風景をつきつけて来る。

ちょっと前に朝のラジオで浅田次郎氏が東京で育った自分の、故郷がない淋しさ、田舎へのあこがれを語っていて、私はこの人の作品、むかつきながらもつい面白くて読んでしまったりしているのだが、その発想というか感覚というかにうんざりしまくりで、たっぷり悪口を書こうと思いつつ時間がないので放ってるのだが(笑)、さしあたり、ここで関係あることだけ書くと、たとえスラム街でも貧しくても、それなりにそこは故郷のなつかしさと慕わしさを持たせることってあると思うのだよね。ありもせぬ田舎の故郷にあこがれるぐらいなら、育った東京を愛した方がよかろうに。そもそも東京だって江戸時代にはド田舎だったんだから。

とにかくそういう貧しい町での愛情こもる思い出は、「スリーパーズ」とかそういう小説でも、そこそこ感傷的に描かれてたし、そういうこともあるだろうし、「ウェストサイド」の旧作の若者たちの地元への気持ちは、そういうものとして私は理解していた。貧しくても汚くてもすさんでいても、それなりに美しい青春の日々の舞台。彼ら自身の美しさも、それをかたちづくる一部分だった。ラストで長々映し出される町の壁の落書きの、不思議なお洒落っぽさもそうだった。

でも新作では、そういう愛が感じられない。それだけ町も彼らも追い詰められており、未来もない。旧作に比べて、彼らの職業や生活は詳しく説明されていて、彼らが皆、その環境の中であがいて必死に生きているのも伝わって来るが、そこには喜びや夢やカッコよさがほとんどない。すべてがとても、いたましくて暗い。

踊りや歌や演技は超一流なのがわかっているし、安心して楽しめるけど、この鋭い絶望感と閉塞感は、見ていてずっと苦しみと痛みを呼び起こす(ほめてます)。
前作は、彼らの暮らしの悲惨さは承知の上で、美化していたし、俳優たちもスターとして華やかだった。今回の対立する二つの不良集団の少年たちは、まだ一回しか見ていないせいもあるが、どちらのメンバーも皆似ていて、区別がつけにくい。前作ではカッコよすぎるベルナルドは格別としても、その副官の渋い馬面の男性(私と友人はけっこうファンだった)とか、もう一方の副官のアイスもリーダーのリフも、体型や顔つきが皆それぞれ、タイプがちがって、見分けやすい特徴があり、それぞれの見せ場もあった。今回はアイスがまったく目立たないのをはじめ、少年たちはほとんどひとかたまりで、誰もが同じように見える。これも多分、計算上の演出なのだろう。彼らは極力背景にして、主役二人トニーとマリアの恋を鮮やかに浮かび上がらせようとする、シェイクスピアの原点に帰った王道の演出かもしれない。

たしかに前作では主役のトニーが健全すぎて、とことん冴えない。私も友人も彼に魅力を感じられず、やることなすことアホすぎるとバカにしまくっていた。今回の演出を見ると、彼がけんかの仲裁をして失敗する場面など、細かい修正が入って、彼をなるべくバカに見えないように工夫している。それ以前に、これもリフやベルナルドとキャラがかぶらないようにする演出だろうが前作のトニーは、まっとうで健康で、これがかつてジェット団のリーダーだったなんて想像もできないし、多分誰もが想像もしないでいた。
今回のトニー役は、もっと陰があって細身でどこか病的で危険なイメージも漂わせる。だから彼が今まっとうに働いて生活し、マリアと会ってちゃんとした生き方をしようとするのが、大変な努力を要するし、いつ崩れるかわからない不安定なものだということも、びしばし伝わって来て、観客を緊張させる。これは正しい描き方と思うし、映画全体のバランスとしても、これがいいのだと思う。中心がどうもしまらなかった前作に比べると、とても落ち着くし、わかりやすい。ただその分、脇役のその他大勢が、本当に脇役に徹しているから、華やかさには、かなり欠ける。

あと、前作でも新作でも、ジェット団の一員になりたくて、周囲をうろつく少年風の少女がいる。これは最初に見たときから、いろんな意味で私にはイタい存在だった。身体つきは見るからに少女で、お尻もわりと大きくて、顔立ちも妙に憂い顔で、とても印象的な分、見ていてすごく居心地が悪かった。
今回のこの役は、ちょっと見たところでは男性か女性かよくわからないタイプが演じていて、どういう設定にしているのか知らないが、前作のような気味悪さや異様さはない。だが、その分、その役割が私にはわかりにくくて、前作の不快感や違和感は貴重なものだったのかもしれないと思った。

最後に近く、アニタが敵の少年たちに集団レイプされそうになる場面もいたましいが、今回の新作では敵の少女たちはそれをやめさせようとしている。これは救いでもあるが、現実はそうならないんじゃないかと私は思ったりする。前作では、このとき、死んだベルナルドのまねをしてアニタの前で踊りのポーズをとって挑発し、意図していなかったにせよ、レイプまがいの暴行のきっかけを作るのは、この「男になりたがっている少女」である。私は血の凍る思いで毎回見ていたから、彼女のその一瞬の行動を死んでも忘れない。そして、私自身も含めて、「男の仲間になりたがって努力する」女の、とっさの必死の行動は、きっとこういうものになるだろうという苦い苦い実感もあるのだ。

その複雑な醜さが今回は払拭されている。気分的には救われるが、見たくも考えたくもないものを、見ずに考えずにすませられるのは、必ずしも愉快や爽快という気分になれるものでもない。

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カツジ猫