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「キャッツ」の感想など

映画「キャッツ」を見てきた。昔、劇団四季かどこかの舞台で見たことがある。指導学生の一人の、けっこう斜に構えた男子が、「メモリー」の歌にめちゃくちゃ感激して研究室のノートに書きこんでいたので、ちょっと意外だった記憶もある。
まちがいかもしれないが、私の感想では「キャッツ」はものすごく内容がない単純な劇で、楽しいショーときれいな歌声とを楽しむだけでいい話と思っている。筋立てとか思想とかは実にもうみごとなまでにすっからかんと思うけど、ちがうだろうか。新しいものの見方も考え方も特にないし、そもそも選ばれた猫が天に上がるってそれ何よ。舞台でも映画でも映像として納得できるものじゃないし、だいたい猫が天に上がりたがると思うのからして無理がありすぎだろ。あいつらは狭いところや暗いところに入り込むのが大好きで、天国っつったら穴か箱か押入れだろうに。天空に上がるのなんて虐待以外の何ものでもないぞ。だからちっとも、そのへんが、自然に心に響いて来ない。

なので、そういうことは期待しないで踊りと歌を楽しむと割り切って見れば、それはもう完璧に近い出来の映画で、猫を演ずる俳優たちの動きはもちろん、メイクや身体の質感がそれはみごとに猫だった。そもそも舞台では無理で映画なら可能なのが、多分CG処理かなんかしてるんだろうが、猫のしっぽと耳を思うように動かせることで、それがなかなかうまく行っていた。主役の女優さんも、はまってた。

ただ、この映画に限ったことではないが、猫を描いた作品を見ていると、突き刺すように去年からのいろいろな虐待行為が思い出されて、ひたすらに苦しく悲しく心がねじきれそうになって来る。最近杉本彩氏の書いた本を読んだこともあって、動物たちの暮らしの悲惨さがひしひしと思い浮かんで来て、「キャッツ」の映画のラストさえ、脳天気に思えてしまって、いたたまれないほどだ。
私は虐待をした犯人そのもの以上に、その映像を見て喜んだ人たちを許せない。その人たち自身と、その人たちの愛する者が、苦しんで死んだ猫たち以上に悲惨な最期を遂げることをいつもどこかで祈っている自分に気づく。

その一方でまた、寒い夜に自分の猫を抱きしめて寝ながら、どこかで野宿しているノラ猫たちのことを思い出す。その猫たちが庭に来るのを許せずに、除草剤をまいたりしている自分のことも考える。そういうあれこれを思っていると、こういう気持ちを何とかしてくれる文学や映画がほしいと思うし、そういう意味では「キャッツ」は何の救いにもならないほど甘いし、よく考えるとやっぱり私は、好きな映画ではないと言わざるを得ない。

ところで、野村監督が亡くなったようだ。亡くなった母はファンだったから、がっかりしているか、自分の方に来てくれて喜んでいるかどっちなんだろうな。
ご夫人がテレビや週刊誌で狂気めいたバッシングを受けていた時も、野村監督はずっと夫人を愛していることを飄々と穏やかに柔らかに語りつづけていたし、野村監督を悪く言う人はいなかった。

母もずっと夫人を弁護していた。それでも最後の方ではちょっと、野村さんも奥さんには苦労してるんだろうみたいなテレビよりの発言をすることもあって、マスメディアに影響されない母に、これは珍しかった。それほど報道機関の攻撃は一個人に対するものとしては異様としか言いようがないほど執拗だった。
私は母と違って野村監督をそれほど知っていたわけではないが、ただその報道の過熱ぶりには心底不快で、脅えもした。特に野村監督のファンでもない人間から見ても、だからこそなおよくわかったとも言えるが、本当にあの時期の報道の個人攻撃の醜さは、正気の沙汰とは思えなかった。

今の政府をろくすっぽ批判できない報道のあり方もひどいが、あれを思い出すと、もともとその程度の低級さだったのかもしれないと、あらためて感じる。お二人がどれだけ傷つかれたかは想像するのも恐いほどだが、それを乗り越えて最後まで深く愛し合われていたようなのは、私のような者にとっても、せめてもの慰めだし救いでもある。

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カツジ猫