「ソルト」感想(2)。
と言いながらつづけるんですが(笑)。
だいたいスパイ映画なんて007とかアリステア・マクリーンなんかは派手ですが、ジョン・ル・カレだのエリック・アンブラーだの、ましてやモームの「アシェンデン」なんかになったら、じみーで暗くて重いですよね、感じとしちゃ。
「ボーン」シリーズは、その両方がうまく合体して成功してたと思うけど、その一つは、けっこう主な一つは、スパイっていうのは周囲をだまし自分を作って、でも自分が何者かは絶対強烈に理解し意識してるのが前提中の前提なのに、「自分が誰かわからない」スパイが主役っていう、強烈な逆説と皮肉がまあある意味、いかにもスパイものっぽかったってのもあります。
「ボーン」シリーズもですけど、スパイものの派手さと重苦しさを結合させたという点では、今回の「ソルト」もうまいと思う。ただ、「ボーン」の場合、ハリウッドが作りながらアメリカのやってたスパイ戦争の非情さを告発、とまでは行かなくても、それと対決する主人公として、そのスパイ養成ぶりを「悪役」にしていた。
アリステア・マクリーンやイワン・フレミングがソ連やKGBを極悪非道に描いてたのも、どこまで心から怒って憎んでたのか、さしあたり悪役が必要だったからなのか、どっちなのかは、いまだに私はよくわからないんですが、それと同じようなもんだったかもしれません、「ボーン」シリーズがCIAを悪役にしてたのは。
で、今回はそれと陰画のようにセットのように、旧ソ連のスパイ活動の非情さ、非人間性が「潜伏するスパイ」によって描かれてるわけです。
でも、そもそも007も映画化にあたっては、敵はソ連やKGBじゃなくスメルシュっていう世界的な悪の組織に変えられてたように、冷戦の時代でも(だからこそ?)、そうそう露骨にソ連を悪とは描けなかったぐらいだし、そもそも社会主義国ソ連は滅びちゃってもうないのですから、結局この映画では、ロシアもアメリカも「良識ある正しい体制、一応正義の味方」として描かれて、「潜伏するスパイ」を目覚めさせて指令を与えるのは、ロシア内で政府転覆をはかる旧体制派(なんでしょうね、あれは。ぼうっと見てたから、よくわからなかったけど、わからなくても大して困るわけじゃないので、この映画の鑑賞には)ということになっていて、だから話がややこしくてわかりにくい分、パンチがたりなくなっている。
スパイ映画に「誰が敵やら味方やら」っていうのはつきものですが、この映画では、その設定のややこしさが、面白さを増幅させないで、むしろ削いでいる。
こういう「潜伏スパイ」の残酷さ、恐ろしさ、非人間性はいうまでもないんですけど、監督は、あるいは映画は、そこを的確に攻撃していない。それが残酷か非人間的か、確信してないようにさえ見える。
えっと、ここでまた、話をさらに混乱させると、こういう「潜伏スパイ」って、実態はどんなだったんでしょうか。何となく、社会主義国のスパイに多かったような気がするのですが、まあ、あくまで小説などからの印象では(「エロイカより愛をこめて」の漫画にも、ちょこちょこ登場してたよなー)。でもほんとは、どのくらいいたんでしょう。そしてどのくらい、実際に役にたったんでしょう。
そして、それって、ほんとに、そんなに非人間的で陰惨なものだったんでしょうか。…と、だんだん話は危険な方向に入って行くのですが。