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「ダウントン・アビー」断想(3)

このドラマの冒頭は、タイタニック号の事件からはじまる。途中で第一次大戦があるし、アイルランド問題もずっと根強く影を落とす。NHKの朝ドラもどきに、時代背景が欠かせない要素となっている。

戦争なんて、どこからどこまでろくなもんじゃないし、いい点なんてひとつもない。その無残な悲劇のあらゆるかたちを、このドラマは描き出す。死者、負傷者、銃殺された脱走兵、後遺症による人生の破壊。その一方で、貴族である女性たちにとって、戦争が生きがいや社会参加を生み、新しい生き方のきっかけになって行ったことを、あまさず丁寧に描きつくしている。

女性にとっての戦場は男性と同様に悲惨で過酷だ。レイプや虐殺、働き手の死による飢餓や貧困。このドラマは、それはあまり描かない。夫を亡くして子どもを養うために屋敷のメイドとなる女性は、悲劇的というよりは伯爵との危険な関係の方が、見ている者の印象に残る。
あえて、そうしたのかもしれない。戦争がもたらした女性への悲劇ではなく、それによってもたらされた貴族の女性たちの自立という面に、焦点をあてて描いているように見える。

こんなに緻密に作られたドラマを見ていると、歴史もその通りだったように感じてしまいやすい。だがもちろん、そんなことはない。どんな映画やドラマや小説でも、そこには作者の解釈と観点は入る。
だから、このドラマが描いた通りが真実とは限らない。それでも多分、このことは事実だし現実だったのだろうと思う。身分の高い女性たちが閉ざされた暮らしから解放され、社会参加へと踏み出すきっかけに、戦争は大きな役割を果たしたにちがいない。「風と共に去りぬ」をはじめとした、他の文学などからも、それは察することができる。

もともと社会や政治への関心が高かった三女のシビルが看護士になるのを筆頭に、伯爵夫人のコーラ、長女のメアリー、次女のイーディス、それぞれが屋敷が介護施設となることによって、否応なしにそれまでとちがった世間との関わり方や生き方に目覚める。
それは伯爵夫人コーラに特に著しい。戦争が終わって屋敷がもとに戻ったとき、彼女は心からほっとして喜ぶが、後になるほど、その日々をなつかしみ、それは地域の病院の責任者として活躍するまでの積極性や充実感とつながって行くのだ。恋人の死によって残された出版社の経営に乗り出す次女のイーディスにも、同じ体験による影響は見逃せない。

もし戦争がなかったら、彼女たちの、そして多くの女性たちのこういった解放と前進は、どれだけ遅れたのだろう? 「戦争だからしかたがない」と異常事態や非常事態ゆえに目をつぶって許されたことの数々が、認められるようになるまで、どれだけの月日がかかったのだろう?

平和が続いていたとしても、いずれはそれは実現したと信じたい。しかし不幸や混乱によってのみもたらされる、一気呵成の改革というものもたしかにあって、皮肉なことに、それは平和な中ではなかなか実現できないものなのかもしれない。

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カツジ猫