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さっそうと歩く

「むなかた九条の会」の方がポストに入れて下さったチラシの中に、澤地久枝さんに関する毎日新聞の記事のコピーがあった。二十年前にできた「九条の会」の設立代表九人のうち、七人が亡くなり、活動を続けているのは澤地さんお一人だとか。九十一歳になられたそうだ。

自宅で転倒されて腰を痛めてからは、コルセットをしていないと痛くて椅子にも座れない中、精力的に平和を守る活動は続けておられて、「食事のしたくは自分でできますから」とお元気そうなのが、頭が下がる。

私なんかこの数ヶ月、どうも体調がぱっとせず、買い物にスーパーに行っても何だかよろよろ歩いている。ちょっと何かすると、すぐ疲れて横になってしまう。ブログのやたらな書き込みと庭仕事は、実は一番疲れないからやっているんである(笑)。

ところで、そうやって体調が悪いまま、買い物などをしていると、今までまったく気づかなかったことに気づいた。歩いているお客さんたちは男女を問わず、けっこう皆よろよろと歩いているのだ。

もちろん、しっかりさっそうと歩いている人も中にはいるが、中年から年取った人たちは、おおむねとてもきつそうに、カートにすがったり、身体を曲げたりしてゆっくりめに歩いている。とても健康体の人たちの歩き方や動き方ではない。びっくりした。いつの間に日本人はこんなに疲れて弱々しくて、不健康になったんだろう。高齢化が進んだのか。ここが地方都市だからか。

なお、若い人たちだって男女関係なく、決してそんなにはつらつと元気そうには歩いていない。顔にも動きにも、疲れがにじみ出している。あんまり元気で幸福そうにしていたら、嫉妬されて刺される危険でもあるんだろうか。

元気なときは私は胸を張って、早足で風のように売り場から売り場へと歩き回っていた。これって、もしかして回りの人は相当恐かったんじゃないのかと反省している。だってほんとに、見ていても見えなかったんだもん。誰もがそんなにきつそうに、えっちらおっちら動いていることに。

亡くなった母は、腰が曲がるということもなかったし、高齢になってもしゃんと上体を起こして、大股でさっさと歩いていた。何でも昔、長崎の活水短大に在学中、体育の時間に外国人の教師から「歩き方」を徹底的に指導されたんだって話してた。
一度、田舎の橋の上を歩いていて、行き合った町会議員の若い男性から、「学校の先生みたいな歩き方やなあ」と感心されたと自慢していたっけ。

それでまた思い出したが、私の小学校のころの女性の先生で、たしかサカモト先生という方がいらした。受け持ちではなかったから、お話したことは多分ない。まだ若い方だったと思うが、きりっとした感じで、皆が甘えるとか人気があるとかいう感じではなかった。もちろん嫌われたりバカにされたりということもなかった。ちゃんと教師として信頼されていたけど、尊敬されるというのともちょっとちがうかもしれない。

大昔のことで保守的な時代だし、田舎でもあったから、「学校の先生」でも、生徒や保護者の目からは、まず「若い女」だった。でもサカモト先生はそういう感覚をよせつけないオーラを持っておられたようだ。「二十四の瞳」の大石先生が当時は女性が乗らない自転車に乗っていたのを、とまどいやショックで見守った村人のように、「なんか、ちがう」と皆がエイリアンを見るように一目おいていた感じがする。

いつもスーツを着て髪はきちっとパーマされて、それこそさっそうと歩いておられた。もう完璧に忘れていた、その先生のことを今思い出したのは、これも母から聞いたのだが、狭い田んぼのあぜ道を、前方からサカモト先生がしゃんしゃんまっすぐ歩いて来られるのを見た、農家の男性が、その迫力に圧倒されて、よけそこねて田んぼに転がり落ちたという話だ。そして私の記憶というか印象では、先生はそのまま目もくれずに通り過ぎて行かれたとのことだ。

それはちっとも悪意をこめて語られた噂ではなく、「すごい」「わかる」と、むしろ感嘆と共感をこめて伝えられた話のように思う。先生を知っている人たちからは、誰もそのときの様子や状況が、目に浮かべられたのだろう。

ひょっとご存命なら、それこそ澤地さんと同じくらいのお年だろうか。いろいろ厳しい環境の中で、昔の女性教師はがんばっていたのだと、あらためて実感する。

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カツジ猫