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「プレシャス」感想(おまけ)。

実は、リンクしてるラッセル・クロウのファンサイトにも書いたのだけど、私があのおかーさん見て、いやおうなしに連想してたのは、「グラディエーター」のバカ皇帝のコモドゥスでした。
まーるでおんなじなんだもんなー、自分の価値を悪い意味でわかってなくて、愛されたがりのちやほやされまくりたがりの、淋しがりやの甘えん坊で。

こういうやつは男女を問わず、その1、絶対人の上に立たせちゃいけない。その2、絶対不幸にしちゃいけない。
こういう人は、悪気でもなんでもなく、他人のために何かするっていうのがどういうことかわからないし、どうしたら他人が喜ぶとか幸せになるかとかもわからない。見返り求めて(名声とか愛情とかね。そのどっちを求めてるのかも自分で整理できてないから、なおのこと始末が悪いやね)人や周囲を幸福にしようとしても、第一やりかたがわからない。それも別に悪いこっちゃないけどね。もぐらに空は飛べないし、とんびは土にもぐれない。人には向き向きってものがあって、こういう人には他人はただもう、自分を幸福にしてくれるだけのためにあるんです。

だから頂点にのぼりつめても、どんぞこに落ちても、どうしたらいいかわからない。ひたすら、人にこび売って、金やらモノやら地位やらをふりまいたり、その逆にひどい目にあわせることで、ただもう、自分にかまってもらいたがる。
特にこういう人は自分のちょっとだけ上にいる人、自分のほしいものを手に入れた人に対して、かける攻撃がものすごい。自分独自の目標が何もないから、さしあたりそうすることに生き甲斐を見いだすんです。

リンクしてある「ラッセル・クロウ・ファンサイト」に載せてもらってる、私が「グラディエーター」の映画にはまっている時書いた、いろんなファンフィクション見てもらったら(さしあたり「冬空」とか)、私がコモドゥスをどうとらえてるかはわかると思いますが、こういうやつって、たしかにかわいいし、好きになる人も多いんですね。
でも私は、それも不快で、今でも(まあコモドゥスを演じたホアキンの演技もみごとなんですが)あいつが好きだの哀れだのいうやつとは、基本的にはお茶したくない(笑)。
少なくとも、そういう人は、「プレシャス」のおかーさんも好きになってほしい。まったく同じじゃん、あの二人。ついでに言うなら「トイ・ストーリー3」の悪役もな。あいつだって、かわいがられるのがうれしくて大好きで、そのままだったら何の害もないやつですよ。不幸になる器じゃない。トップになれる器でもない。この二つってときどき同じこともあるけど、まあそれはおいといて。
神は愛するものに試練を与える、というのはちょっとちがうかもしれないけど、似たことはよく言われる。私はこの言い方もきらいで、バーカと思っていたけれど、考えてみると、ちょっとは正しい。すぐれた、立派な、すばらしい人しか、不幸になっちゃいけないんです。バカや、弱い人間が不幸になったら、もうどうしていいかわからないから、とんでもない害毒を周囲にまきちらし、世界をろくなことにしない。

そういう意味で、「トイ・ストーリー3」の悪役や、プレシャスのおかーさんは絶対に幸福でいなきゃいけない人だった。そういう環境でだけ、それなりにいいこともできる人だった。
不幸の頂点(というのも変な言い方だが)で、より貧しい子にパンを与えた小公女セーラのように、マキシマスやプレシャスは、不幸のただなかでも、それなりにいいことをする力をちゃんと持ってます。まー、コモドゥスとあの母親もですが、マキシマスとプレシャスを同じだなんぞと言ったら、最近の太ったラッセル・クロウしか知らない人ならいざしらず、彼のファン(一応私もそうなんですが)から殺されるでしょうが、でも人生への対処のしかたや、不幸になる能力もないくせに不幸になったバカからたたられるという点じゃ、二人はまったく同じでしょ。ついでに言うとマキシマスは不幸になってからしばらく、多分30分近く、まったくせりふを言わないという、エンターテインメント映画の主役としちゃあるまじき離れ業やってますが、それも、プレシャスが沈黙の中にとじこもってるのと共通してます。まあ、マキシマスにはその前に輝ける過去があって、プレシャスにはそれが生まれたときから存在しないっていうちがいはあるけど、どっちがよりきついかっていう点じゃどっちもどっちと思うんだよねー、それって。

うーん、おまけを書いていてもとまらないんで、このへんにしておきます。

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カツジ猫