「プレシャス」感想(4、これで終わり)。
そろそろネタばれか?とも思うけど、でもネタばれじゃないかもしれない…。
私もこのトシになると、体験が多いせいか、本や映画を読んだり見たりしたのが多いせいか、なんかもう、何読んでも何見ても、現実でも架空でも、「あー、だっからもう、そんなこったと思ってたんだよなーっ!」とやたら力をこめて吐息とともに吐き出したくなることが、昔に比べてずっと多い。
でも、現実はともかく、映画や本じゃ、それでつまらなくなるというものでもなく、「そうじゃないかと思ってたけど、やっぱりそうなのかよーっ!」と思いながらも、それなりに満足はするし、楽しめる。
まあ、時には「えーっ!」と驚き「そうか、言われてみればそうだよなー」と深く納得する、というような喜びも味わってみたいとは思うけど、でももうこのトシまで生きてると、世の中にそうそう意外な、見たこともないパターンって、なかなか存在しないものだ。
「プレシャス」がある意味とてもうまいのは、やっぱり最後に「そうじゃないかと思ってたんだよーっ!」と叫びたくなるのはなるのだが、その「そうじゃないか」をはっきりと感じさせるのじゃなく、もやもやもやもや、ずっと画面にただよわせることだ。
ぶっちゃけて言うと、(これはネタばれかもしれないけど、ひょっとしたらそうではなくて、誰でも最初から同じことを感じるだろうと思うのだが)この母子の家庭というか、プレシャス母娘の関係は、救いようなく悲惨で残酷で虐待で理不尽なのに、どこかあたたかくて愛情があるのだよ。私にはそうとしか見えなかったし、誰でもそう思うんじゃないのかなあ。
これはプレシャスもだけど、おかーさん役の人がうまいんだろうなあ。ひどすぎる親だけど(もっとも「三丁目の夕日」時代には日本でもあのくらいの親や夫は、そのへんにザラにいた。だから私は昭和という時代なんか、ちっともなつかしくないし、好きじゃない)、冷たいとか無関心とかいうんじゃない。どこか、ものすごくべたべたとくねくねと執着してるし、甘えてる。
まあ、暴君なんてどいつもこいつもそんなもんではあるんだろうが。
母親は、何かをプレシャスに訴えている。何かを求めて、願っている。それが自分じゃわからないので、プレシャスにわかってもらいたがっている。そうとしか見えない。
この母親は実はとても「かわいい女」だ。愛されたいし、大事にされたい。ちやほやされて、守られたい。顔もきれいだし、きっとそうなる要素もあったのだろう。それを自分でも知っている。どうして自分がそうなれなかったか、なれないでいるのか、わからないから、さしあたり皆プレシャスのせいにしている。それは、彼女のプレシャスへの信頼や愛でさえある。とんだ信頼で愛だが。まったく救いがないが。
彼女がなぜそうなれなかったか、わからないのは無理がない。別に彼女が悪いのではなく、それはただ運が悪かったのにちがいない。人生そんなもんで、彼女より美しくなく性格も悪い女性でも、何かのはずみで、優しくちやほやされて幸福でいる人はいるだろうし、そういう人は幸福でふんわりほんわか一生を送って、誰も傷つけたりしないだろう。
超乱暴な話だが、あのまま二人がすごしていて、プレシャスが成長して強くなったら、二人の関係はもうちょっとよくなって、幸福になれたかもしれないとさえ思う。プレシャスが主導権をにぎって家庭を制圧すれば、あの母親はおとなしく従って満足するのではないだろうか。
彼女だってそれなりに娘を愛していたが、それ以上に夫というか男を失いたくなかったのだし、そのことは悪いことではない。
むしろ悪いのは夫なのだが、その夫(プレシャスの父)のことは、ほとんど描かれないので、なぜ彼がプレシャスをそんなに虐待したのかははっきりしない。
でも、それはむしろとても単純な話で、彼は妻が生んだ子どもに妻をとられると嫉妬して、子どもを憎んだのではないだろうか。
彼もまた、愛されたがりの弱い人で、妻の愛する存在がただもう邪魔で憎かったのではないだろうか。
どこにでも、よくありそうな話で、まったく救いのない話だ。
プレシャスの父も母も、決して悪人ではない。だからこそ、救いがないし、やりきれないし、許せない。
弱くてかわいい、そして自分に自信がない、自分の価値を正確に認識できない人間の、残酷さと罪深さ。プレシャスがあんなに太ったのも、母が残飯を無理に食べさせたからだろうが、そうまでして彼女は娘をみにくくしたかった。夫を娘にとられた、娘に負けたという深い傷が彼女を打ちのめしている。プレシャスには予想もできないだろうが、母にとっては娘は勝者で自分は敗北者なのだ。プレシャスが、母を許し母に耐えているのも、そういう母の傷の深さをどこかで感じていたからではないのだろうか。
書けば書くほど、情けなくなる。母親の心理と行動が、手に取るようにわかるだけに。