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「ポトスライムの舟」感想

「ポトスライムの舟」、芥川賞受賞作品って知らなかった。閉店前のジュンク堂で、記念に買っとけとそのへんの本をつかんで買っただけだ。次の日、朝食前か後かに疲れてベッドにころがって、つい開いたら、まったく止まらなくなり一気読みした。同じ文庫に入ってる「十二月の窓辺」の方がドラマティックという点では小説っぽいのだが、私は絶対「ポトスライムの舟」の方が好きだ。むちゃくちゃ好きだ。

読んでる間も読み終わっても痛切に感じたのは、ひゃあまるで私の日常そのものじゃんかということだった。主人公は二十九歳の女性で、私は七十五歳の高齢者で、環境も経歴も全然共通点はないのに、もう描かれている毎日の感覚が、私の日常そのものに思えた。
幸福なんだか不幸なんだかよくわからない。回りの家族や友人や同僚とは、いい関係と特に言うほどでもないがいい関係で、そこがまあ非常にすばらしいのかもしれない。何かしょうもないことで起死回生の一発をぼんやりねらっていて、冒険や夢を抱いているけど実行するかどうか自分でもわからない。自分が恵まれてるのかそうでないのかもわからなくて、人がいいのかどうなのかもよくわからない。成功者なのか失敗者なのか、脱落してるのか競争してるのかも、まるで見えない。自分の状況がどの程度やばいのかもつかめないまま、日夜それなりに努力していて、人に優しくあろうとしている。余裕があるのか強いのか弱いのか、時々周囲に傷つけられて、でもそれで決定的にどうかなるわけでもない。何一つ先が見えなくて、何かが起こるけど、それでも時は流れて、不安でもあり、元気にもなり、とにかく毎日をこなしている、この感じ。もう本当に、ああ私の毎日だと思い、皆わりとそうなのなら、私も大丈夫なのかもしれないと思った。

いやでも、こんな若い人と同じだからと安心しててもいいのかどうかわからないけど。多分まずいんじゃないかと思うけど。
でも、これが現実で、これが人生なら、それもそう悪くはないと思わせる普遍性みたいなのは確実にある。どこか麻薬のような小説だ。小説らしさが何もない、一番小説に書きにくいことを、ちゃんと描いてとどめてくれている。読んでいて、すごくうれしいし、好きだ。

何日かして、何度かあちこち読み直して楽しんでいる内に、ちょうど授業で「ハムレット」をやってるせいか、これって、「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」みたいな作品だなと唐突に思った。
トム・ストッパードのこの戯曲は、「ハムレット」の中では超脇役の二人を主人公にした、一種の二次創作だ。「ハムレット」の舞台では、主役のハムレットたちがしゃべっていて、脇役二人がいなくなる場面で、この劇は反対に二人が話し続けている場面が続いて、ハムレットたちのやりとりが遠ざかって行く。

「ポトスライムの舟」の登場人物や描かれる日常は、それに似ている。職場でも家庭でも町内でも、多分この小説に描かれてないどこかよそで、いろんなドラマや悲喜劇があって、主役たちはそこで七転八倒している。この小説の主人公たちの日常は、その背景で脇役でしかない。でもこの小説では、そっちにスポットライトがあたる。死ぬほど悩み抜いてぼろぼろになったり、人を傷つけたり傷つけられたり、死んだり殺したり狂ったりする人たちは誰もいない。ものすごく優れてカッコいい人もいない。でも淡々とひっそりと、聡明に優しく彼ら(というか彼女ら)は生きていて、だから普通は主役にならない。その人たちを主役にしている。大変なことだ。

何だかこれを読んでいると、その本来の小説らしいドラマや主役たちが、陳腐に見え、下品に見えてさえ来るから恐ろしい。それでさ、こんなことつけ加えたら、やっぱりそれも下品になるんだろうけどさ、自民党でも日教組でも安保体制でも平和憲法でも、誰でも何でもいいけどさ、戦後の日本が作った世界と人間が、こういうものだったとしたら、それってすごく良質で高級なものができて来てるんじゃないのかって、ついちょっと思うの私としては。もちろん、そこにある欠点や弱点も含めてのことなんだけど、でもやっぱり、「いいものができてるんじゃないかなあ」と思ったりするの。橋本治のそしてみんなバカになったという言い方と、そんなに矛盾もしないかたちで。

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カツジ猫