「告白」感想(4)。
ところで私は、その昔、悪人が変に改心したり正義の側と妥協したりする結末が死ぬほどキライで、しかし50年ほど前の日本のテレビドラマときたら、もう大半がそんなんで、だから、珍しくその中に毅然として社会や警察に敵対しつづける人が出てくると、ふるえるぐらい感動した。特にそれが美しい女の人だったら、もう最高だった。これは私が女性が好きだったということでもなく、その時代では特に女性は絶対にそんな風に「初志を貫徹」することはなく、すぐ泣いて相手の言うなりになってばかりだったからだ。
今でも覚えているが「七人の刑事」のドラマで兄をかばって逃がしつづける足の悪い妹役の山本陽子さんの美しさは、だから目に焼きついている(笑)。
そんな当時の私が見たら、「告白」の映画の松たか子さんの女教師は、きっと、ふるいつきたくなるぐらい魅力的だったろうな、と映画を見たとき、とっさに思った。
しかしすぐ、あ、ちがうと気がついた。
私は小学校でも中学校でも、先生にかわいがられてはいても、よりもっと生徒の一員としての意識を強く持っていた。まあ子どもだから、そんなに首尾一貫していたとは思えないし、あっちこっちちぐはぐなところもあったろうが、基本的には、先生や大人は敵で、信頼できるのは同級生だし、そうあるべきだし、さらにもっと言うなら、自分一人と思っていた。
そういう価値観は、多分読んだ小説やなんかの中から生まれたものだろうが、私は親や先生が、私でなくても同級生や特に弱い人を不当に扱うのが許せなかったし、そんな大人は軽蔑した。
私はいい子だったし、不必要な反抗はしなかったが、親も教師も大きな力を持っていることをよく知っていて、だから決して油断はしなかったし、そういう力を持っているのにふさわしい善意や良心や熱意を親や教師には要求した。口には出さず、あくまでも心の中で。
あんなに美人ではもちろんないが、教師への態度や距離は、私はあの映画では優等生の少女、美月に近い。
そして私は、親や教師には期待しない分、生徒である自分たちがしっかりしていなくてはならないと思っていたから、人の上には立たないで、しかしクラスを分裂させず、不幸な人が生まれないように気をつけてはいた。もちろん自分が孤立しないように十分に気をつかっていた。
そんな私があの映画を見たら、多分、まず教師というだけで、あの女教師に全面的には共感しない。
幼い娘を殺した加害者の一人である少年に、女教師が与えた制裁を当時の私がどう評価したかはあまりよくわからないのだが、確実に言えるのは、私が許せないのは、女教師が少年に対してしたことよりも、あのクラス全員に対してしたことだ。
それは、あの映画や監督が、あのクラス全員に対してしたことでもある。そして、水ももらさぬと言っていいほどの構成と気配りの中で、この点だけは、つまり、あのクラス全体が、ここまでコケにされ粗末にされ利用されふみにじられていいのか、という点に関してだけは、この映画はちょっとフォローがたりないような気がする。
えー、つづきます(笑)。