「告白」感想(5)。
私はこの映画、しょっぱなの学級崩壊状態のクラスを前に、たんたんと恐るべき告白をする女教師という、あの場面ですでに一気にひきこまれたのだが、それは、あの学級の状態を見ていて、それはもう、しんからうんざりして、どっとくたびれたからで、その生徒たちの状態を無視して、どこまでもマイペースでしゃべりつづける女教師に、ある意味感服し、ある意味血が凍った。
あの状態のクラスが、現在の学校でどれだけふつうかそうでないのか、私にはわからない。多分、実際の生徒たちもふくめて誰もそんなこと、わからないのではあるまいか。学校も教室も、生き物のように姿を変える。信じられないほど一気に変化してしまう。だから、大抵の生徒や教師も自分の体験しか知らないと、それが静かなクラスでも騒がしいクラスでも、それをふつうと思うしかない。
学校も教室も、まあそれをいうなら家庭も国家も、崩れはじめるとあっという間に、まともな時には想像もできなかったことが日常になる。そして今度は、それが収まると、あれはいったい何だったんだと思うぐらい、天国のように平和で穏やかになってしまう。秩序なんてそんなもんだ。
だから、あれに近いクラスも現実にはあるのかもしれないが、私にはもうあの状態が、とにかく不快で無気味で疲れた。よくもこんな恐ろしい状況をありありと描き出したと感心したほど、あの場面には救いがなかった。悪意さえあるわけではない。ただ無気力で怠惰でしまりがなくて、無責任な騒がしさ。音も色彩もすべてが描き出す、ひたすらな荒廃と無秩序。各自は何の意識もなく生み出している集団としての醜さと汚らしさは目をおおうばかりで、そこにいるのは、かわいらしい元気で健康的な中学生の男女だけなのに、地獄か魔窟のようなおどろおどろしさがあった。あんなに明るく無邪気でいながら、あんなに不快で嫌悪を催す集団を場面として描いてみせただけでも、監督の才能はすごい。
女教師はそんな生徒たちを放置するでもなく、指導するでもなく、自分の語りをつづけて行く。私はあれと近いクラスに生徒としていたことも教師としていたこともある。だからわかるが、あのような態度は教師なら誰でも一応身につけてはいる。だから一見ありふれた、やりがちな教師としての態度にも見える。しかし、実際の教師ならもちろん絶対にしない、異常で狂気じみたことを、あの女教師はやっている。
殺人犯の名を公開するとか牛乳に細工をするとか、そういうことを異常で狂気というのではない。その前に、そもそも、彼女があの状態のクラスを見捨て、どう見ても突き放したまま、自分の告白をつづけることに、私は見ていて「正気か!?」と思い、胸のつぶれる思いをした。
娘を殺した加害者や、その他の、まあそれを生み出した土壌でもあるかもしれない、あのクラス全員に、彼女が指導者として最後の捨て身の教育をしようとしたという解釈もできないことはないが、そんな解釈は彼女にとっても不愉快だろうし失礼だろう。まあ、そこをぼかしているのも手管の内ではあるにせよ、彼女の本心が意識的にでも無意識にでもどういうものであったかは、もうどっちでもいいようなものであるにせよ、やはり彼女の基本は母としての復讐にあり、教師としての能力は、敵を見抜く武器として使っているだけなのだろう。
ただまあ、そのへんは微妙なのだよねー。彼女の加害者の少年たちへのしうちが、娘を殺された私憤なのか、こういうやつらが存在する、生み出される状態を何とかせんといかんという公憤なのかは、片っぽだけだと何となくつまらなく、両者がからみあうことでものすごい説得力というかパワーというか伝家の宝刀の二本差しというか、無敵の強さを発揮して誰も立ち向かえないほどのものになってしまっている。いいかえれば、そこをぼやかし、ごまかして彼女は戦っているのが、賢いし、ずるい。
きゃー。予測はしていたものの何だもう、この長さは。そろそろしめくくらないと、えらいことになる…が、終わるのか?(笑)