「大学入試物語」より(35)
大学入試物語 第四章(4)
8 トム・ソーヤーの壁塗り現象
どんどん話がまたしても、入試とはなれて行くようだから、あとひとつだけ私がいつも腹立たしく思っている図式か現象かを指摘して、その後、話を入試に戻そう。
現場の声や要望や反論を文部科学省や政府にあげるルートやパイプというものが、私の知る限りでは存在しないということを前に述べた。それだけでもいいかげん驚かれるだろうが、事実はもっと救えない状況にある。
新しいコースを作れとか、学部を再編しろとか、どれだけ労力がかかるかわからないようなことを、いとも簡単に文部科学省は押しつけてくるが、正確に言うと、これは押しつけているわけではない。表向きの手続き上ではすべて、大学の方から希望したことになっている。
私も大学執行部のはしくれの役職についていたことはあるが、あくまでもはしくれで、期間もそんなに長くなかった。それももう昔のことだし記憶もさだかではないから、細かいいきさつはわからない。しかし、そういう立場にいなくても一構成員としての感触だけでも、確実にわかる印象は、次の通りだ。
まず文科省から、「こういうことをしてはどうか」というような打診のようなものが来る。そこで「いや、わが大学では必要ありません」と回答したり無視したりしたら、どうなるのかは誰も知らない。あくまで打診だから拒絶も無視も質問もあって当然と思うが、どうもそういう選択肢は許されていないようで、「これを拒絶したら、絶対に予算を削られる」とか「これを受け入れなかったら、必ず学生定員の削減(それは、教員削減につながる)が言い渡される」とかいう推論が、まことしやかに取りざたされる。
もしかしたら、文科省はそんなつもりもなくて、本当に「打診」で「意見聴取」なのだとしたら、文科省の方も気の毒だし、全体としてとんだ茶番だとしか言いようがないが、何しろ何度も言うように、対話や交渉といった機会がほとんどない仕組みだから、どうしても疑心暗鬼が先行する。
その結果、別にほしくもないし、特にやりたくもないような、新設の機関や学部が作られることになる。それだけでもけっこう腹立たしいが、私が毎回見ていて許せないと思うのは、そこから先の展開である。
そういう新しい組織は、あくまで私の印象ではと断っておいてもいいが、決して大学の内部から生まれた要望でも希望でもなく、文科省の打診で「ああ、それはいいですね」と乗り気になった話でもなく、「断ったら何をされるかわからないから」と、しぶしぶ受け入れ、新設を決めた組織である。ところが、それにもかかわらず、いったんそうなった後はどうなるかというと、「新設を認めてもらう」ために、大学の方が書類を整え設備を作り、人員を配置し、文科省に設置を認めてもらうため、懸命に努力しなければならないことになっている。
あまり学内政治には関心も興味もなかった私の記憶でも、こういう図式は数回くりかえされた気がする。一度はとにかく、二度三度同じことが起こると、いいかげんに何かを学んでもいいのではないかと思うが、まったく同じだ。つまり、こちらが望みもしなかったものを、相手のきげんを損ねてはといやいや引き受けたのに、今度はそれをもらうために、こちらがあれこれ努力して相手の許しを得なくてはならないことになるのである。
具体的には、その新しい学部や組織を作るための企画書や計画書を作って文科省に持って行き、それが認められるかどうかに全学が一喜一憂し、設置が認可されるとほっとして大喜びする、ということになる。