1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. 「大学入試物語」より(36)

「大学入試物語」より(36)

自分がそういう作業をしたことはないが、やっている人たちの苦労がよくわかるだけに、見ていてただただ腹立たしかった。私の感覚では「こういうことをしたらどうでしょうか」と言ってきたからには、「やりましょう」と応じた相手に対しては最大限の感謝と礼儀をつくすべきだし、少なくとも「ここはこうした方がいいのではないでしょうか」と「こちらにできることは何かありますか」と相談にのり協力を申し出るのが普通だろう。
ひょっとしたら文科省の方ではそうしているつもりなのかもしれないが、大学にいて見ている限りでは、絶対にそうは見えない。自分の方から声をかけておきながら、しぶしぶだろうがいやいやだろうが、相手が応じたそのとたん、「そちらが希望しているのですから」と、自分がチェックし許可するという上から目線に早変わりし、しかも「こうしてほしい」「こうしたら許可する」という要望さえはっきり示さず(どうしてほしいのか、わかっていないのかもしれない)、提出された書類を見ては「これではどうも」と突っ返し、気に入るものが出て来るまで待つ、という、いまどきめったにいない、不親切な卒論指導をする無能力な教員のような態度をとっているとしか見えない。

そもそも、「こういうものを作っては」と打診してくる段階で、打診は打診なのだから、「だめです」「いやです」と拒絶する自由を相手に充分に与えておかなくては意味がないだろう。そして、「なぜだめなのか」「なぜいやなのか」を聞いてみて、なるほどと思ったらあきらめるし、あきらめがつかなかったら、そこを解決するような案を作って再度提示し、調整して行くものだろう。
つまり、「これではだめですか。ではこうしては」と、修正と提示をくりかえすのは、最初に打診した方でなくてはならないはずだ。(こんなあたりまえのことを、あらためて書いている自分がアホらしくなるが、事実はこれとはまっさかさまで、それが普通になっているから、こんなしょ~もないことを確認するのもしかたがない。)
それがまったく逆転している。作りたくもないものを、いやいや作る側が、作ってほしい側を説得しようとしているのだから、よいものが生まれるわけはない。本当に作ってほしければ、恥をかいても失敗しても自分で原案を作って提案しなければ、本来説得される側には、相手が何を望んでいるのかわかるわけがないだろう。

Twitter Facebook
カツジ猫