1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. 「大学入試物語」より(37)

「大学入試物語」より(37)

ここには、前に私が「さかさまのふるい」と名づけた現象とも似た、奇妙で滑稽で醜悪な倒錯と逆転がある。説得される側のはずだった大学の方が、設置を認可してもらおうと努力を重ねる内に、まるでそれが本当に望んでいたことであるかのように、少なからぬ構成員が感じているようなのを見て、私はマーク・トウェインが「トム・ソーヤーの冒険」で描いた、最初は罰だった壁のペンキ塗りを皆がこぞってやりたがるようになる、あの情景を何度連想したかしれない。それはまだほほえましいが、「どうしたら認可してもらえるのか」と、本来ちっとも望んでいなかったことを認めてもらうための文言を苦心して考えている担当者を見ていると、私は魔女裁判で拷問にあった無実の人が苦しさに耐えかねて早く死刑になるために「何を自白したらいいのか教えて下さい」と刑吏に懇願する場面をさえ連想する。そういう裁判では火あぶりにした人の財産を没収するのに、使った薪や油の代金の請求も含めるというが、それと共通した陰惨さを、こういった状況を生む精神の背後に感じる。
(というか、最近「消された家族」という文庫本を読んだら、北九州市で起こった、老人から幼児までの大家族を監禁して殺して解体して捨てたという、とんでもない事件の犯人の男性が、まったく、この通りのことをしていたので、ほとんどもう笑ってしまった。彼は犠牲者となる人々に対し、絶対にどうしろこうしろとは自分から言わなくて、あくまでその人たち自身が殺し合いをしなくてはならないように追い込む。律義なまでに姑息な手段で、残虐な行為をあくまでも自発的に行なうように犠牲者に強いる。私がここで表現しようとしている、大学改革の手続きの精神は、すべて、この男性のやり方であると言っていいほどで、私の言わんとすることを理解したい人は、ぜひ、この本を読んでいただきたいと思うほどである。)

この二十年あまりの間の大学改革のすべては、このようなかたちで行なわれてきた、と私はあえて断言する。
そうやって組織が再編され、新しい組織が作られてきた。当然それは、行き詰まり、見直しを迫られ、時には廃止された。
どんな過程で作られようが、そこに希望と期待を抱いて入ってくる学生は現実にいる。現場の大学教員はその学生たちとともに必死で努力して来たし、何人もの教員がこの数年過労死としか言えない死に方を私の周囲でもした。それらの教員や学生のためにも、こんなかたちでの改革や改編はもうこれ以上してはならない、と、これも私は断言したい。(2012.12.19.)

Twitter Facebook
カツジ猫