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「断捨離展望台」内容紹介

ひきつづき「断捨離シリーズ」の中の一冊を紹介します。その名も「断捨離展望台」。

まずは、目次をごらん下さい。

まえがき
 テンタクルズ
 リンドウとオリーブ
 蔦のある家
 かつこつ
 木馬のバスケット
 子どもたちが皆ナイフを持っていたころ
 どんと来い
 ほれ直して、さようなら
 カトラリー集団
 もふもふ玄関
 花の墓場
 シジフォスのカード箱
 ノルマドーム
 守護神を作る
 こけしの近衛兵
 空白の時代
 年の終わりに
 合わせ技
 自然にできた洗い桶
 春が好きな理由
 ランドセル
 ぞんざいなカーテン
 牛乳石鹸、よい石鹸
 吉四六さん
 その一ページ、その一行
 あとがき

なお、ほとんどの章は、このブログ内の「断捨離狂騒曲」のコーナーで読めますが、最後の二章、「吉四六さん」と「その一ページ、その一行」は、この本(電子書籍と紙本あり)でしか読めません。ごめんなさい!

このシリーズの四冊は、別に順序というものもないし、どれから先に読んでもいいのだが、何となく、「停車駅」「展望台」「潜水艦」「飛行艇」の順に、時の流れはあるように思う。だが、そのへんの縛りはゆるく、たとえば二冊目の、この「展望台」の「まえがき」と「あとがき」には、全体に通用するような、出版にいたるまでの事情や、背景となり基調となっている事件の説明などが簡単に綴られている。その点では全体像を把握するのには役立つ一冊かもしれない。

その事件(あるご家族がまったくの善意と好意から、人間としても研究者としても私の息の根をとめるようなこと、具体的には田舎の家の書庫に保管していた、貴重な研究資料や書籍を大量にごみとして処分してしまわれたこと。もちろん私が何も知らない間に、何の断りもないままに)の影響や反映は、この本にも残る。

事件の起こった書庫の修復や再生をはかろうとするべく、守護神や魔除けのようなポスターや絵を飾り、二度とこのようなことを起こさせないための部屋の再構築を工夫するといった、「テンタクルズ」、「守護神を作る」、「こけしの近衛兵」の各章に、それはあらわれる。特に捨てられた中にあったと思われる、他愛のない郷土の民話集「吉四六さん」の章や、それに続く「その一ページ、その一行」の章では、「片づけて、きれいにして、喜んでもらおう」との一心で、私にとって、かけがえのない貴重なものの数々を、破壊し、私の作った環境や雰囲気を一顧だにもせず、カーテンもクッションもごみ扱いした人たちへの、どうしようもない感情と、その中で何とか自分の内部と外部を回復させて今後につなごうとする、さまざまな工夫が描かれる。

その中で私が誓ったいくつかのことも記される。このようなことをした人たちを決して憎まないし、復讐も贖罪も求めないこと。
 私は書いている。

「損害賠償を求めろと言うひともいるだろうが、他の多くの書籍や資料の無限大なほどの価値を思っても、私は金銭的な保障など、びた一文もしてもらいたくない。他の面の保障もまったくいらない。後悔さえもしてほしくない。そんなもので代えられるものは、今回失われたものの中に、ただのひとつもないからだ。」

「相模原殺傷事件の遺族の方が死刑を求刑するのも、動機を知ろうとなさるのも、当然すぎるし、うなずける。それでいくらかほんの少しは、慰められることもあると思う。けれども私は昔から死刑廃止論者で、それは、私にとってかけがえのない、大切な命を奪ったつぐないに、相手の汚い身体や命を捧げてほしくなどないからだ。そんなものが少しでも、かけらでも、失われたものの代償になるなどと、思うだけでもおぞましい。多分、その気分と似ているだろう。」

また私は、この事件に関して、相反するふたつのことを警戒した。ひとつは、「もし、これに打ちのめされて、私が晩年にする予定だった仕事ができないままになったら、この残った資料も、捨てられてもしかたがなかった意味のないものになってしまう。そんなことには絶対にさせない」という思いだ。もうひとつは、逆に、それなりの成果をあげることができた時、「少しは捨てて減らしてもらった方が結局はうまく行ったということもあるんじゃないか」、つまり、今回のこの事件が、何がしかは役に立ったととらえられるかもしれないこと。

「誰かにそう思われると予想しただけでも、私は怒りに髪を振り乱し、虚空に向かって声なく咆哮した。
 私が今後、どんな苦しい努力をして、どんな成果をあげたとしても、それは決して今回のこの事件に負うところなど、ひとつもない。そんな名誉や意義をひとかけらでも、この吐き気のするような経験に与えてなるものか。そのことを私は何度もこぶしで床をたたきながら、歯をくいしばって固く誓った。」

こう抜書きして行くと、この一冊はホラーめいた陰々滅々の暗澹たる作品に見えるが、実際には全体としては、この「展望台」は他の三冊と比べても、穏やかでのどかで、ほのぼのとした、おとなしい雰囲気の本である(笑)。四冊の中では一番エッセイ集らしい、罪のない生活感が漂う地味だが明るい作品と言っていい。

他愛のない、こまごまとした日常が、ありふれた、どこにでもある平凡な毎日が、誰にでもあるが消えてしまう、ほのかな記憶の数々が、この本の中にはつまっている。いつ買ったかも思い出せない小さな置き物、ありふれたものを集めた浴室のインテリア、余ったストッキングやタイツの処理、毎日のくりかえしの仕事の無駄を省こうとする、笑っちゃうようないろんな工夫、台所のふきんや水筒の利用法、それらが読んだ本の内容などと結びついたり、からみあったりして、有機的に変化発展して行く面白さ、などなどが、「リンドウとオリーブ」「蔦のある家」「かつこつ」「木馬のバスマット」「ほれ直して、さようなら」「もふもふ玄関」「花の墓場」「シジフォスのカード箱」「ノルマドーム」「空白の時代」「自然にできた洗い桶」「ぞんざいなカーテン」などには、満載だ。

 

 

それはまた、私をとりまく家族やペットや教え子や友人知人たちとの、ささやかで深い交流の幸福が随所にのぞく話の数々でもある。私が他人には恐くて見せられない、独特の淡白さやわがままや気難しさも受け入れてくれた親友たちとの関わりを綴った「ランドセル」「春が好きな理由」を筆頭に、「どんと来い」「カトラリー集団」などに、それらのさまざまな人たちとの、ものを通しての小さいながらに幸福な交流の様子が浮かび上がる。

ちょこちょこ顔を出すペットとともに、今のようにはまだそれほど興味がなかった、花についても、珍しく詳しく描かれている章がある。「花の墓場」や「年の終わりに」が、それだ。
 「合わせ技」にあるような、行きつけのお店の話が、ちらと出るのも珍しい。

もちろん、それらの各章は、そうやって、とりとめのない、ささやかなものを、滑稽なまでにいとおしんで築いてきた私の生活全体や、これまで続けた生涯と、「断捨離」の名のもとに、生き生き浮き浮き他者の持ち物を了承もなく処分して「私に喜んでもらえると信じていた」人たちの、あまりにも途方もない行為との落差、それが私にもたらした意味が、どういうものであったかを、おのずと示すことになってしまってもいるのだが。

意志の疎通のすべなど、はなからない、火事や地震や風水害、またそれと似た赤の他人の犯罪などとはまた異なる、あまりにもやりきれない、一応同じ人間として、信じ愛していた人が、まったく未知の、動物や無機物以上に理解できない存在に変化した、驚きと虚しさが、そこには存在する。

さて、この本には、そういう私の個人的体験とは別の、時代や社会の時の流れもまた、期せずして描かれている。読んでいて私も予想外だった、たとえば人物写真の背景の風景のように、思いがけない当時の情景がうかがえたりする。「テンタクルズ」に登場する、コロナ下の大都会の風景、「子どもたちが皆ナイフを持っていたころ」に記される社会党党首浅沼稲次郎氏がテロに倒れた前後の社会、「牛乳石鹸、よい石鹸」でわかる大学紛争時代の電話事情など、ささやかすぎて、どんな記録にも残らないほどの、でも現在とはあまりにちがう、思いがけない事実の数々。

↑後ろに、ちらりと、わが猫がいます(笑)。

そして最後に、自分の今後の仕事の予定の再構築を模索する中で、思いがけなく思い当たったことを書く。この事件ほど非常識で暴力的ではなくても、むしろ充分な配慮をして、当事者とも話し合いながら進める、理想的な「他者の荷物の片づけや断捨離」にともなう、避けようも防ぎようもない、決定的なひとつの残酷な行為、心の殺人について。

いやはや、おどかしてすみません。自分でも、いい趣味じゃないと思う(笑)。でもこれは本当に、避けようがない、生きて行く中での悲しみのようなもので、だからこそ、一人でも多くの人に知ってほしいことなんです。

最後の「その一ページ、その一行」に登場する、「推し」に関する記事や資料を、堂々と切り抜いたりスクラップブックにまとめたり棚に飾ったりする勇気がなくて、「それとなく」保存しておく心境を、次のように私は記している。

「架空の人物や俳優やタレントとかではなく、身近な誰か、恋してはいけない相手、同性や肉親や不倫相手などの写真や手紙を、わざわざ箱に入れてリボンをかけておく者はいない。無難な他の写真や手紙といっしょにして、さりげなく置いておくものだろう。」

私の荷物を無造作に廃棄したご家族に対して、怒りや恐怖を抱き、「こんなことは自分には絶対にできない」と考え感じた人たちにこそ、自戒もこめて、伝えたい。自分の愛するものの数々を自他ともに認めて恥じない人たちだからこそ逆に決して理解できず、うっかり見逃してしまう、次のような心理や状況が、人間にはある。

「死んだあとならかまわないが、生きている人のものを何かの事情で片づけることになったとき、リボンで縛ったり箱にしまったり金庫に入れたりできないもので、でもかけがえのない大事なものが人にはあるかもしれないことを、心のどこかにとめておいてほしい。
 『これいるの?』『捨ててもいい?』と聞かれて、『ああ、それはとても大切なものなの』と、絶対に口にできない、自分でさえも恥ずかしくて認めたくない、失ったら生きてはいけないくらいつらいものだけれど、諸般の事情や心理から決してそれが言えないものって、人にはけっこうあるものだ。
 それに気づかずその何かを奪ってしまうことだって、私たちにはあるかもしれないのだ。」

うーん、やっぱりホラーかな、この本(笑)。

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カツジ猫