「極主夫道」のドラマと原作
コミックで気に入っていた「極主夫道」がドラマ化されると聞いて、ネットで放送日を確認したら月曜の9時とかあって、のんびりしてたら、さっきテレビを見るともなく見てたら、KBCでは今夜つまり日曜日の10時半からじゃないのさー!
他に用事もあったので、全部は見られなかった。残念。でもま、だいたいの様子はわかったからいい。
これ、声優の津田健次郎さんが最高にカッコいい、イメージぴったりの動画を公開していて、それをドラマがしのげるかってのも興味のあるとこだったんだけど。
主演の玉木宏さんは悪くない。そもそも原作のコミックが、主役「不死身の龍」のキャラはしっかりしているが、絵という点ではちょっと明確でない気がする。顔立ちとかがいまいち決まってないような。だから、それらしい俳優なら、わりと誰でも行けるし、玉木さんなら充分だ。
ただ、ドラマをちらと見たところでは、あー、原作のポイント(少なくとも私が魅了された)をわかってないなーという悪い予感が第一回ですでにした。
ヤクザの大物が普通の主夫になってしまうという設定は、面白すぎてどうにでも作れてしまう気がするんだろうが、なめちゃいけない。
原作のコミックでは、龍と妻(バリバリのキャリアウーマン)が住む家は、しがない普通のアパートで、内部も畳で、家具や雑貨も、つつましく庶民的で、しみったれている。それがドラマでは、そこそこのおしゃれな家になっている。もうその時点で、あーまちがってる何もわかってないと思った。津田さんのビデオとちがって猫が本物なのはうれしかったが(笑)。
そして、これは多分、江戸の戯作から何から古今東西共通と思うが、とんでもない設定をひとつ作ったら、その異常な非現実の異次元さは、それひとつに限らないとだめなのよ。その鉄則がこのドラマ、全然わかってない。
つまり、龍が主夫になってる以外は、町内会のおばさまたちも、かつての仲間のヤクザたちも、まったく普通にちゃんと善良な市民と危険な暴力団員として描かなくては面白さが消える。原作は、そのあんばいが実によくできていて、考え抜かれて最高だ。
しかし、ドラマでは、町内会のご婦人も暴力団員も、皆どこかおかしい普通じゃないように描いている。わかってないなあ。致命的だよ。
そのくせ、龍の過去もふくめて、暴力団的ヤクザ的場面はマジにリアルに描いて、しかもその部分が多い。これまたアホか。
家庭の主婦の世界と暴力組織がくっついてしまうという、この破格な設定は、あくまでも暴力団の世界や美学を描くのではない。原作を読めばわかるが、そういう要素は注意深く徹底的に排除されている。龍というヤクザのしぐさや発想が抜けきらない、たたずまいのすべてにそれがしみこみながら、なおかつ完璧に生まれ変わって主夫してる男の、いじらしさといたましさとおかしさとかっこよさが彼を限りなくエロティックにも見せているが、その彼が捨てた世界の香りや魅力は、ただもう龍という人間の肉体と行動を通してのみ、表現されて、読者に伝えられなければならない。ヤクザ映画の世界の魅力を、もろに露骨に出そうとした瞬間にこの作品の魅力は死ぬ。
ドラマは、その点も全然わかっていない。
この二つの点ですでにもう、後はどうでもいいぐらいで、龍に娘がいるという設定も、何を考えてるかわからないが、もうどうでもいいやってレベルだ。どうせ何も考えてないんだろうな。年齢から言って、妻の連れ子という設定なのだろうが、あの奥さんはもっとお嬢さんでもちろん初婚で、まだ原作でも龍とのなれそめは語られてないけれど、その出会いと結婚は、もっとぶっとんでいて初々しいものであるはずだ。
ヤクザの大物が家庭の主夫になるという設定が面白そうだからと安易に飛びついたが、やけどしたな、多分このドラマは。
私はいずれ、このホームページのシリーズ「お買い物と文学」で、初のコミック作品としてこれを取り上げようと思っているぐらいなのだが、それだけ評価した理由は、たとえば遊園地かどっかにこの夫婦が行って、看板から顔をのぞかせて写真を撮るというなんでもない場面でも、二人の位置がちゃんと考えられている、そのジェンダーだかフェミニズムだかの視点の細かさに脱帽したからなのですよ。
そういう配慮の数々も、きっと全部みごとにふみにじってくれるんだろうな、このドラマ。
もう別に見なくてもいい気がするけど、せめて原作がドラマに引っ張られて、二人のなれそめとか出会いとかを変な風に路線変更しないで欲しいなあ。もうそれだけを、祈るばかりだ。
写真は昔からわが家にあったラーメンのどんぶり。もう親戚にあげてしまったのですが、記念に撮っていた写真です。龍さんなら、これでラーメン作ってくれたかもね(笑)。