「義経物語」の思い出
昔教えた学生たち(と言っても皆もう定年退職して、お孫さんもいたりするらしい。ぎゃあ)が、今日同窓会をするはずなんだけど、まあまあのお天気でよかったねえ。もう亡くなった人もいるらしくて、時の流れを痛感しています。いろいろ愉快なクラスだったようなので、これからも皆、楽しくやってってほしい。
私の方は、家の片づけが、重要な局面?にさしかかってる。いろんな計画や構想の前で立ち往生してる感じ。何しろ昔とちがって身体が動かないし疲れるのも早いから、最低の最速の動きで仕事を片づけようとするもんだから、展望が決まらないと動けない。うーん。
町田康『ギケイキ』になかなかはまっているのだが、それにつけても感心し感謝するのは、子どものころに読んだ講談社世界文学全集の『義経物語』の名訳。大田黒克彦さんだったっけ(ごめん、調べたら佐藤一英さんでした。大田黒さんは『源平盛衰記』だった。こちらもよかった)。独自の描写もすごくよかった上に、『ギケイキ』を読んでてあらためて気づくのだが本来の「義経記」の錯綜してた展開も小さな場面も全部きっちり取り込んで、活かしてくれてた。
義経と弁慶が対決の前にいっしょに経を読む場面なんて、音楽やってる町田氏ならではの、わくわくするような描写なんだけど、それ、子どもの本の「義経物語」でも、きちんと紹介されていて、子どもながらに私はすごく印象に残っていた。それが町田氏の訳と重なって浮かんでくる喜び。あの講談社の全集はすべて、そのように手抜きがなく、本格的だった。感謝してもしきれない。