「聖お兄さん」のすごさ
やれやれやっとこさ、うっかり途中で公開してしまった「水の王子・丘なのに」の最新記事がアップし終わりました。長いなあ。そして相当恐いなあ(笑)。
庭と同様、家もさっぱり片づきません。読みかけの本や返事がまだの郵便物を入れてたかごをひっくり返していたら、もうとっくに読んでいたコミック「聖お兄さん」の多分最新刊が出て来ました。上の家の書庫に持って行く前にちらちら見ていたんですが、登場人物が多すぎて収拾つかなくなりゃしないかという、いらん心配はさておき、このコミックの最大にして最高の価値は、主人公の二人イエスとブッダが、どんなにバカやっても、絶対に本家本尊の持っている、精神の高潔さと神仏としての尊厳をかけらもちらとも、損ねてないし失ってもいないことです。これはもう、ほんとにすごい。どんなにほめてもほめすぎじゃないってぐらいすごい。
はちゃめちゃなことやってても言ってても、この二人の聖人のすること言うことに、一点の卑しさもまじらない。まったく汚れがなく、しみひとつない。作者はたしかキリスト教の文化には親しいけど仏教はそうでもないと最初のころに何かで読んだ気もするのですが、知識とかより何よりも、この「聖人としての根本要素」が、ばっちりゆらぎなく入っていて、それがまったくゆらがないのが本当にすごすぎる。
言うまでもなく、アニメ化や映画化やされても、そこにはこの「聖人テイスト」がまったく理解も活用もされてないから、さっぱりつまらない迫力のないドタバタ喜劇にしかなってない。こんな題材扱うときは、自分も精進潔斎沐浴断食修行して、高潔な心になるぐらいの覚悟がなくてはならんのに、それがまったく見えないから、アニメも映画もつまらんのですよ。
ときどき私は、この質素なつましい共同生活送ってるイエスとブッダの、この優しさとけなげさと良心と博愛が、もしかしたらそのまま、今の若者たちの姿そのものじゃないかと重なって見えて来たりします。これは絶対に錯覚じゃない。神のように美しい精神で生きている若者たちの、この優しさと強さは、限界に達すれば、それこそ悪魔にでもなりかねない、怒りやいらだちと紙一重でもあるのでしょうが。
私がこのコミックに出会ったのは、まだ活躍していた島田紳助の番組で彼が育てていた「新選組リアン」という若者グループの一人が推薦していたのに興味を抱いたのがきっかけで、だからもう随分前になりますねえ。紳助はともかく、あの若者たちは今も元気でいるのかしら。