「阪急電車」の悪口。
えーいもう、ついでに書いちまえ(笑)。
くれぐれも言うときますが、私はこの映画はもちろん、小説さえも、そんなに好かんわけじゃないし、よくできてるし、うまいとも思ってます。ただ、いくらよくできていて快くて楽しくてうまくても、どっかもう根本的に、ええかげんにしろ、気に入らん、ウソつけってことはあるわけで、この原作の場合、そういう諸要素がみごとにいりまじってますね。
しかしあれです、考えてみると、ここ数年、若い人とつきあってて、時々そりゃもう聡明で、立派で、感じがいいのに、どういうか、あくまで私の基準では、おっそろしくわけのわからんことを言ったりしたりする人がときどきいるわけです。しかも、こっちが、「あんたのここが腹立つの」としっかり教えてやっても、「どうしていけないのかわからない」と途方にくれて、ぽかんとしている。
私は、激怒すればするほど、その相手に無関心になり、どーでもよくなり、腹も立たないという性癖があるんで、相手に怒りちらしていても、実はそれほど怒ってない。だから、ない袖はふれないつうか、憎しみが伝わってない分、相手は私の怒りを感じない。
でも私に言わせれば、そういう点では迫力にも鬼気にも大いに欠けるとはいえ、私が怒ってることも相手を見限りまくってることもたしかなんで、私に傷つけられない(多分)とか被害を受けないとかいうこととは関係なく、自分のしたことの意味、私の怒りの理由ってやつは、しっかり考えないといかんと思うんだけどな。
「あ、この人、別に私を傷つける気はないな。恨んだり復讐を考えたりもしてないな」とわかった時点で、もう相手が私の怒りを真剣に考える気が失せてることは何となくわかる。それって、すごく問題と思う。
思うが、だからって、そんな程度のやつのために、貴重な私の感情を、たとえそれが憎しみであったとしても、ひとたらしだってやるもんかね。私の身体も心も貴重で、愛はもちろん憎しみも恨みも、大変価値ある毒液で、薬液にもなるかもしれない高級品だぞ。つまんないやつに施す慈悲なんて、私にはない。
って、何だかもうワルクチの本題に突入しつつある感もあるけど、そうじゃなくって要するに、最近そういう若い人がけっこうな確率でいること思えば、この映画の原作に私が感じてる不満や不快はそのまんま、そういう若い人にしてみれば理解共感同感できる快感であり感動も呼ぶのかもしれん。
恐ろしい世の中になったもんだと思うが、しかしまあ、いつの時代でもかたちをかえて、私と相互理解が不可能な、そういう人種はいるんだろうから、まあそうあわてたもんでもあるまい。
わー、前置きが長くなったんで、ちょっと一休みする。