『ヤマトタケルの日本史』を読んで
今朝はやっと雨らしい雨がふったので喜んでいたら、夜は風が強くなり、出かけた帰りの道では車がひっくり返りそうになるぐらい横からの風が吹きまくっていた。恐いから見てないけど、きっと朝顔のつるをはわせた紐が、どっかでどうかなってるだろうな。
ゆうべもベッドにひっくり返って、買ったままにしていた本を一冊読み上げる。まだまだ読んだり感想書いたりしたい本があるのだけど、なかなか時間がとれないの。
読んだのは、井上章一『ヤマトタケルの日本史 ー女になった英雄たち』という本です。その昔、同じ著者の『美人論』を読んで、うわついたところのない、あらゆる意味できっちりした内容に信頼と好感を感じたのを思い出して、だいぶ前に買ったのですが、期待通りの面白さでした。いつものように、これでもかと資料をそろえ、それに右往左往しないで、ゆらがない基本の感覚を守りつつ、厳密に論を進めるのが読んでいて心地よい。
江戸時代の同性愛について、女性同士のそれが例が見つからないなあといつも思っていたのですが、近松の浄瑠璃にいくつかそれに近いものを見つけてくれているのもありがたかったし、他にもとにかく知らなかった資料をいくつもあげて下さっていて、ものすごく助かりました。あちこちにさりげない笑える表現があるのも好きだし、映画「日本誕生」での三船敏郎にもふれているのは、おかしくもうれしい、行き届きぶりです。
「日本では、英雄が女に化けて敵を倒すのに、抵抗や反感を感じない。これは他国とかなり異なるのでは」という点を徹底的にこだわって、「そういう反感や拒否感はどこにも見いだせない」ということを証明しているのは、相当に大きい成果だと思います。ここまで検証はしていないけれど、私も同じ印象を持ちます。そして、ここを確認した上で、広がるだろうさまざまなテーマや問題点は限りなく果てしない沃野につながってるのじゃないでしょうか。
その上で、私のささやかすぎる知識だか視点だか疑問だかを書き留めておきますと、
1)江戸時代の義経=美少年のイメージは、少なくとも馬琴の場合は、どこか非人間的アンドロイド的である。これは近松の「平家女護島」などで少女姿で殺戮をする場面もだし、馬琴の「俊寛僧都島物語」などもそうで、ある程度共有されていたイメージなのかもしれない。馬琴の「八犬伝」でそのイメージをひきついでいる毛野も同様で、同じ美少年の親兵衛が健康的な桃太郎タイプなのと、はっきり描きわけられている。人間らしさが少なくて、異星人っぽい冷たさがあり、そこが魅力となっている。
2)外国の例だが、ギリシャ神話のアキレスはかつて母の戦争に行かせたくないという意志によって、他国の王宮の王女たちの中に女装してまぎれこまされていた。それを見抜いて戦いに誘い出すのが知将オデュセウスで、つまり戦場に赴く時点でもアキレスは、ベールや衣装で隠されていたとしても、一応、王女たちと区別できない外見をしていたことになっている。そもそも本人が何を考えて母の言うなりになってたのかはさておくとして(笑)、これは敵でライバルのヘクトールの健全で完璧なバランスのとれた人間らしさと比べて、アキレスのどこやら非人間的なイメージとも重なる。(彼は女性のブリセイスに対するとともに男性の友人パトロクロスとの愛も深く強い。)これは日本の場合とどう関わるか、小さい例だが気にはなる。
3)義経の美醜についての室町以降の描写のゆれだが、唐突すぎる例だが私はプロ野球のホークスの周東選手の外見に対する印象や評価が具体的にこれを説明するのに都合がよさそうで、授業のたびに言いたくなって(まだ言ってないが)困っている。特殊能力や一芸に優れた存在はそもそも異質で特別な印象をもたれやすい上に、彼の外見は実際には背が高いのに小柄に見えたり(小顔で足が長いからか、同僚たちと並んで座っていると女性がまぎれこんでいるように見えたりする)、色の白さや歯並びの特徴など、義経のそれと共通するところが多い。健康的でまっとうな他の人気が高い選手とちがって、どこか予想がつかず不安定だ。ネットで「女人気では一番じゃないか」と噂されるほど、特殊で異様な人気がある。実際の人柄は普通で健全でまっとうな人なのだろうが、そのイメージの与えるものや愛され方は、義経という存在に人々がとらえていたものを理解するのに有効な気がする。
4)私が昔、日本近世文学会の分科会で提起した資料の「3」の項目も、このテーマにどこかで少し関わるかもしれません。短いから、そこだけコピーしておくか。
メロドラマでは女性の外見は概ね美しい。男性の場合、女性的な美しさや弱さを持つ男性はボーマルシェ「フィガロの結婚」のシェリュパン、ワイス&ヒックマン「熱砂の大陸」のマシュウ、南条範夫「虹之介乱れ刃」の夢之丞、栗本薫「グイン・サーガ」や上橋菜穂子「守り人」シリーズの王子たちなどよく登場するが、映像化、劇化される際に、有吉佐和子「仮縫」の松平信彦、「紀ノ川」の真谷浩策、ユーゴー「レ・ミゼラブル」のアンジョルラスなど、より男性的な外見に変えられやすい。もしくは「三銃士」のアラミス、「八犬伝」の毛野のように女性化されることもある。江戸時代の文学では、舞台の上でも比較的このような女性的男性の魅力は曽我物の十郎に典型的なように残されることが多いようだが、そこには人々のどのような好み、もしくは社会の実態が反映されているのか。
まだ何かあった気がするのですが、思い出したらまた書きます。気晴らしに読む本もつい数冊注文したのが、そろそろ届き始めて、あー、また時間がなくなってしまう(笑)。
白いトルコキキョウと赤いバラの実があまりきれいなので、ついまた買い足してしまいました。少しは涼しくなったから、長持ちしてくれるといいけども。