たとえ目に見えなくても
何日か前の朝、家の前を市議会議員の候補かわちさんの宣伝カーが通ったので、手でも振ろうかと出て行ったら、坂の上の空き地で演説をしておられる模様。のそのそと聞きに行って、握手もして帰って来ました。自民党の金権政治に怒りを感じている市民は多いんだけど、もうどうしても無駄という無気力な空気もあって、そこを何とかしなければと言っておられました。
よく晴れた朝で、畑もあちこちに残る住宅街は静かでした。聴衆のいない中できちんと訴えておられるかわち候補の姿を見ていると、数年前に九十八歳で亡くなった母の言っていたことを思い出しました。
母は晩年、郷里の村で共産党議員の選挙演説の応援をよく手伝って、候補の人の街頭での演説の間に、近くの家々に応援チラシを配ったりしていました。そして私にときどき話していたのは、「誰も聞いていないように見えてもね、近くの家にチラシを持って行くと、庭先の垣根の後ろや、畑の草むらのかげとかに、黙って立ってじっと聞いている人がよくいるのよ」ということでした。
母から直接聞いたのか、私の頭が勝手に想像したのか、今も心に刻まれているのは、うすぐらい夕闇や朝もやの中で、畑仕事姿の男性や女性が、畑の向こうから響いて来る政治への抗議や平和を守ろうという訴えに、ずっと耳を傾けている、人に知られない情景でした。
母が私に伝えてくれた、大事なことはいろいろあるけど、彼女が話してくれなければ決して私が知ることはなかった、その事実、その情景は、今でも私の心をどこかで支える映像です。大都会で選挙カーを押し包む大群衆の歓声とは真反対のその場面が、私の底にいつもあって、何かの力を与えます。
衆院選の方では、ニュースではさすがに自民党の議席は減るだろうと予測していますが、聞けば聞くほど息を吐くようにいいかげんな発言をくり返す候補にもうんざりするし、何より共産党の候補が伸び悩んでいるというのはいやだなあ。いくら立憲民主党が伸びても、れいわと社民党と共産党がしっかり存在していてくれないと、ろくなことにはならないよ。裏金議員も統一教会も、またまたずるずる復活してしまうだろう。当選してもしなくても、この三つの党の票を伸ばしておくことが、一番政治を腐らせない歯止めになるんだから。というか、さしあたりそれしかないんだから。
朝顔をはわせていた紐は、この前の大風でもちゃんと無事だったので、よしよしと思っていたら、今朝気づいたら、せっかく初めてなった柿の実がいくつか地面に落っこちていた。そろそろ色づいていたんだのに、くやしい。拾ってきたけど、置いておいたら、その内食べられるぐらいに熟しないかしら。食中毒とかしたらヤバいけどさ。
でも、食べられるかどうかはともかく、こうやって見ると、汚れてるのも含めて、なかなか絵にはなるような気もする。