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『大才子・小津久足』感想(5)

前回の補充ー元資料の引用について

前回の前半の、「高級料理を屋台で提供する」試みについて、ひとつだけ補充しておきたい。菱岡氏の他者の説の引用を極限まで避けて、自分がその方面の専門家として原資料にあたって、それを用いて論を構築する、という姿勢である。

私が初めて出した『江戸を歩く』という本に、かつて中野三敏先生がそれこそ過分な書評を書いて下さった。その中で中野先生は何よりもまず、この本がこれまで使われなかった元資料を多く利用しており、その点でこれは、「オリジナルな研究書に見えて、営々たる先行研究の数々をノリとハサミで切り貼りしたものに小賢しい注釈をつけただけの本」とまったくちがって、「この一見瀟洒な小冊は実は極め付きの大著」と言って下さっている(末尾のどこやらふざけた調子も私は大好きで、これについてもどこかでいずれ述べたい)。私はもちろん、とてもうれしかったが、その後、この本についていただいたさまざまな方の批評の中で、この点に注目して下さったものはなく、そのことで初めてまた中野先生のご批評のありがたさにも気づいたのだった。(ついでにとことん、いらんことを言うと、私は自分の書いた研究書について批判や悪口をいただいても、あたっていればなるほどと思って参考にし、見当違いだったら笑って忘れるので、ほぼまったく心は騒がない。ただ、この本に関してだけは、見当違いな感想をいただくと、自分だけでなく、これだけほめて下さった中野先生までが否定されたようで、あんまりいい気持ちはしなかった。冷静な菱岡氏は、まさかそんなことにはなるまいから、心配しないで、心置きなく評価することにする。)

中野三敏先生の『江戸を歩く』批評

でもって、菱岡氏は、まさにこの私が中野先生にほめていただいた「元の資料を使う」という点を、それも恐ろしいことに各方面で実施している。紀行作品のみでそれをやった私の本を、あれだけ評価して下さった中野先生は、菱岡氏のこの本を見たら、どれだけ喜ばれたことだろう。私にいただいた先生のお言葉の、この部分はそっくりそのまま、ノリとハサミで切り貼りして(笑)菱岡君にさしあげたい。

和歌史の骨組み

さて、問題の和歌についてである。
 私がテキスト作りのために観念して、和歌のカードをとり始めた頃、近世和歌についての私の知識は、それこそ高校生なみだった。しかし高校生とちがって生意気だから、「こんなのどうやって、わかりやすくまとめて学生たちに教えろっていうんだ」という、ぼやきや当惑も感じていた。

ひとつは、紀行や俳諧、戯作などといったジャンルに比べて、登場する人名や書名や関係がやたらと多くて錯綜していることで、これを整理して簡単に説明して、何も基礎知識がない学生に何かを覚えてもらうのなど、まず不可能に近い。派閥があり学統があり、それがまた離合集散をくり返す。誰が一番すぐれていたのか人気があったのか、そんなこともすべて判然としていない。「芭蕉がいて弟子たちがいて」とか、「前期は秋成、後期は馬琴、両方活躍するのは京伝」とか、「前期は益軒、中期は南谿、後期は久足(『江戸を歩く』を書いた段階では私はまだ久足を発見していない)」などと片づけられる骨組みがさっぱり見つからない。

まあ、伝統による二条家歌学の古今伝授とかがあって、中期からそれをひっくりかえす勢いで契沖や宣長の国学が勃興、最高とされていた古今集に代わってか並んでか、万葉集に注目が集まるようになり、その後、小沢蘆庵や香川景樹などの歌人が出て来て、幕末には地方で良寛やら大隈言道やら独特の境地の歌人も登場して、ぐらいのことは、そりゃ言える。だが、その周囲の作家たちの位置づけや評価が、どうも有機的に結びつかない。時代背景とも呼応しない。これじゃ教えても覚えても、ただの知識しか身につかない。そんなのはコンピュータにでもまかせとけばいいことでしかない。

嘘でもいいから、彼らの一人ひとりの顔や姿や、時代や芸術との関わりについて、何かのイメージを持ちたいし抱きたい。だけれども、その突破口というか、手がかりがさっぱりつかめないのは、もうひとつの、私が感じるもどかしさ、不安材料で、それは、彼らひとりひとりの作品から、彼らの作風、傾向、が自然と浮かび上がり、導き出せるということが、これまたできそうにないことだった。

あんだけ膨大な量の万葉集だって、何となく全体の特徴みたいなものはある。古今集だの後撰集だのになると私なんぞには区別はつかないが、新古今集はさすがに何かこう、よそとちがった雰囲気はある。だから歌集なら最低何とか行けるだろうが、個人の傾向となると、しかもそれが、その人の歌論やら主張やらと矛盾しないか一致してるかとかいうことになると、どうすりゃいいのよ。しかも、こういう人たちって、毎日息吐くように歌を詠むのよ。残ってるだけで何万首(久足は七万首とか)とかあるのよ。そしてまた、やせても枯れても腐っても(しかもやせても枯れても腐ってもない)最高級の雅文学の和歌の世界であるからして、これまた他の分野とは比べ物にならないくらい、どいつもこいつも(すみません)たいがい長いややこしい、歌論を述べまくってるのよ。

オタクの精神

歳を取るとテレビを見てても、若いタレントたちの区別がつかなくなって皆同じに見えるということはよく言われる。私なんかも明確に名と顔が一致するのは嵐のメンバーあたりまでかもしれない。ましてやAKBだの桜坂だの乃木坂だのといった集団の各自の区別などできっこない。しかしもちろんファンは当然、何十人でも、あのそろいもそろったカワイコちゃんたちの顔や声や姿を峻別できる。
いわゆるラノベやそれに類した関係の小説でも、ちょっとファンだったら、恩田陸と唯川恵と湊かなえの小説は、たとえ作者を隠して新作を読んでも文章からすぐに誰だか当てるだろう。
アニメやコミックだって同様で、かつてテレビでやっていた何とかチャンピオンという番組の決勝戦では、たしか何十人もの漫画家の、バラの花とか、唇とかの部分だけをずらりとパネルに並べて、作者を当てるという課題があった。そして最後まで残った出場者は、その大半を楽々と指摘していた。全部当てた人もいたんじゃなかったっけか。
まあさ、クルマでもフィギュアでもラーメンでも、マニアってのはそういうもん、オタクってのはそういうもん、別に珍しいことじゃない。(ちなみに中野三敏先生は新入生向けのパンフレットに、「研究者になるにはオタクになるべき。宮崎勤のような」みたいなことを書かれていたような気がする。超内輪の手作りパンフだったから問題にならなかったけど、今ならばっちり炎上ものかもしれない。)

そういうことができるんでしょうか。江戸時代の歌人たちの、例えば良寛(これはわかりそうな気もするが)、景樹、蘆庵、田安宗武、村田春海、とかいった人たちの全然有名でない一首を見せて、「誰の作でしょう?」と聞かれて、なんとなくでも見当をつけることが。

うーん、いや多分、久保田くんとか盛田さんとか一流どころになったらできるのかもしれないなあ(もはや半分独りごと言ってますので気にしないで下さい。笑)。

全体像をつかむのは夢か

つまり私が漠然と夢想するのは、ひとりひとりの歌人について、駄作や凡作も含めてその人が遺した、時には数万首の歌をすべて見て、その人の歌論も全部見て、その人の主義主張や人生やそういうものもすべて知って、その上で、その人の歌の特徴、その人にとって歌が何だったのかを知った上で、彼らについて一行ぐらいで片づけて、全部の歌人たちのその上での関係とかからみとかを解き明かして、時代背景とかも関連づけて、江戸時代の和歌の全貌をつかんで、皆に伝えることだ。

もちろん、すぐれた研究者は、皆それをやってるし、やろうとしてるし、たとえ無名に近い郷土史家のような方でも、地元の一人の歌人について、そうした作業をされている方も、これまた少なくないだろう。
しかし、それに費やする時間と労力は甚大だ。私は数年前に、島根の森為泰という歌人について調べて、めちゃくちゃ面白かったのだけど、その紀行と日記をかいまみるのが精一杯で、とても歌稿までは手がつけられなかった。吸血鬼みたいに何回も生をうけても、やりとげられるかどうかわからない。幸い森為泰については、今は地元の研究者の方々がきちんととり組んで全集を出そうとしておられるようだから、うまく行くよう心から祈っている。

私は昔から、紀行の研究をする者が自分以外にあまりいないのをぼやきまくっていたけれど、こうやって見ると、和歌の世界でも山ほどいるはずの研究者は、圧倒的に足りない。しかも大学教員は予算が削られて学内政治や事務仕事にこき使われて追い回され、調査の時間さえろくにとれない。
 金を、人を、よこして下さい。政府でも、内部留保がたまってる企業でもいいから、こういうことに投資して下さい。もう、そう願うしかないです。本当に。

どんな読者を予測する?

文学史のテキストや著作や論文で、和歌の歴史や歌人を紹介するとき、たいてい出るのは、その人のキャッチコピー「ただごと歌」とか「しらべの説」とかで、そして代表的な和歌が二つ三つ紹介される。紙面の制限を思えばそれもしかたがないけれど、それで何がわかるのか、と私としてはつい思う。
そういうときに常に引用される歌が決まっているというわけではない。決まっていればそれなりに一般の方の記憶に残るメリットはあるだろうなと思う一方、数百、数万首の中から、数首を選んで紹介することで、その作者を判断されては本人はたまらんだろうという気もする。「清新な」とか「重厚な」とか「万葉風の」といった短い形容詞も、どれだけの意味があるのだろう。そもそも、こういったテキストや著作は、読者に何を伝えたいのか。どこまでわかってほしいのか。

私は高校か中学の教科書、また自分がバイトで教えた高校の教科書などに載っていた、近代の和歌をいまでもはっきり覚えている。

夕焼け空焦げ極まれる下にして氷らんとする湖(うみ)の静けさ
 曼珠沙華ひとむら燃えて秋日強しそこ過ぎている静かなる道
 喉赤きつばくろめふたつ梁にいてたらちねの母は死にたまひけり
 星みつる今宵の空の深緑かさなる星に深さしられず

以下はバイトで教えた分かな。好きな歌に挙手して、と言ったとき、「多摩川の」で、わっと大勢の手が上がって「これ絶対あげようと思った!」と女子高生たちが興奮してささやきあっていたっけ。

金色の小さき鳥のかたちして銀杏散るなり夕日の丘に
 多摩川の岸にたんぽぽ咲くころは我にも思う人のあれかし

こうやって今でも脳裏に刻み込まれている歌の、ことばの美しさを思うと、若い人たちにこれを知ってもらう機会があるだけでもいいのだろうか。でも、それに徹するなら研究書ももっと工夫を…って、そもそもそんなの研究書の役割じゃないのか。でもそうだったらなおのこと、私がぐだぐだ述べたような無謀な挑戦ももっと意識的にやっていいんじゃないのかな。もちろん、やってる人もいるだろうけど。

あー、今回もまた菱岡君の本にまでたどりつかなかった。とにかく私は、こういう疑問や不安への回答も見つけたくて、かみついてしゃぶるように、この本を読んだのです。そして、もちろん得るところが大きかったのですが、すみません、それは次回に。

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カツジ猫