ああ、そうか…。
◇例の川崎市の河川敷で中学生が高校生らに殺された事件、あまりに間が抜けすぎの犯行だし、何がどうなってるのか、さっぱりわからんと思っていたのですが…。
今朝の毎日新聞の記事や、その後のテレビの報道などを見ると、その高校生が、被害者の中学生をなぐった後で中学生の知人の少年数名が、謝罪しろと抗議に行っていたのですね。その逆恨みかもしれないとのことで。
加害者と言われている高校生は犯行を否認しているようだし、いろんな状況はまだわかりませんが、被害者の中学生には、そういう抗議をしてくれる知人がいたのかと思うと、どういう関係のどういう性質のものかはともかくとして、周囲は無気力なだけではなく、行動する人もいたのですね。
本当に事情はまるでわからないので、不用意なことは言えないですが、とにかくそうやって関わろうとした人がいたことが、最悪の結果を招いたからと言って、そうしたことがまちがいだったとは思わないでほしいなあ。絶対に。
◇以前、同様の残酷な少年犯罪についての文庫本を読んだときに、一番印象に残ったのは、加害者が残酷なことをする引き金になるのは、被害者が自分とちがって、愛して心配してくれる家族や友人や恋人を持っているとわかった瞬間で、犬鳴峠でガソリンかけられて焼き殺された若者は、「ばあちゃんに買ってもらった車だから貸せない」と断ったから、カップルでいたところを襲われて残酷に殺された男女は、先に殺された男性を見て「自分も生きてはいられない」と残された女性が死のうとしたから、犯行グループの狂気のような怒りを招いた、という分析でした。そんな祖母も恋人も自分たちにはいないとわかっているから、羨望のあまり加害者たちは逆上するのだということでした。
納得できると同時に、とてもやるせなかった。
今度の事件がそうなのかどうかはわかりませんが、もしも、そういう「心配して介入してくれる仲間がいる」ことへの羨望や怒りが引き金になっているのだとしたら、少なくとも、あの捕まることなんか全然気にしていないような、手抜きの投げやりすぎる犯行は理解できるな。というか、そうとでも考えなくちゃ、理解できない。
もちろん、理解したからって被害者には何の救いにもなりはしないことだが。
◇今朝の新聞の占い欄では今日は私はフットワークが軽いと書いてあった。たしかに朝からいろいろ、くるくる働いて、暗くなる前に、キャラメル猫のお墓の回りもなんとかきれいに草をとって、花を植えたけれど、それで疲れてばてそうなので、今夜も早く寝ることにする。実家の書庫にあった「めぐりあう時間たち」の本を持って来て、読み直したら、映画もまた見たくなってDVDを借りてきているんだけど、今から寝ながら見たら、また目まいがしちゃうかな。