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あの猫この猫

毎日私は、この家は先月亡くなった猫のカツジと暮らした家という意識で生きていて、多分彼のタマシイもそのつもりでいるんだろうと思うけど、先日、田舎の母の家にいたモモちゃんという猫のことを思い出して、そうでもないのかもとちらと気づいた。

モモちゃんは田舎の家で自由に出入りしていて、帰省するたび、家の周囲の田んぼやあぜ道の、濃淡さまざまな緑の中に、彼女の白と黒の姿が小さく遠くからでも見えたのを思い出したと書いたのだが。

強烈な誘惑

思えばカツジと暮らしたこの小さな家は、もともとは空き地で、私はその後ろのもう少し大きい古い家に住んでいた。当時飼っていた猫たちも、田舎の母の家と同じく、自由に外を歩いていた。
 私の好きだった大きな金色と白の猫キャラメルは、狩りも上手でけんかも強く、その空き地や、道路を隔てた小さな森で、よく遊んでいた。私が車で帰って来ると、どこからかそれを見ていて、にゃああにゃああと鳴きながら、森から出て来て斜面を一目散に下って道路を横切り、空き地を突っ切って、玄関の私の方に走って来た。

うれしくて、かわいくて、私はいつも玄関の前で彼を迎えた。ところがそこがさすがは猫で、一散にかけよって来ていたのが、次第に歩みがのろくなり、最後はのそのそ歩き出し、耐えかねた私が「キャラー!」と呼ぶと、おもむろに草の中に座り込んでお化粧を始めるのだった。まあ、結局は近づいて来て、私にすりつき甘えるのだが、あれはいったい何だったんだ。

カツジは外には出なかったので、そんな遠くから呼んだことはないから、その点どうだったかはわからない。けれど毎晩ベッドの端に寝ていて、私と目が合って、「カツジ」と呼ぶと、それがどんなに小さな声でも黙ってむっくり起き上がって、まっすぐ律儀に私の腕に抱かれに来てくれて、肩のところに丸まってくれた。別にうれしそうでもなく(笑)。
 だから遠くから呼んだことはない。遠くから彼の姿を見たこともない。

モモちゃんと同様、キャラメルの場合は、空き地と道路を隔てた森の中から現れて、にゃああにゃああと鳴きながら転げるように繁みの中を降りてくる、金色と白の小さな点も、抱いて眠った夜々の思い出と同じくらい私の目にはしみついている。そうやって彼が私に向かって走って来た空き地の上に、今この家が建っているのだ。パソコンを打つ窓の正面には昔と変わらぬ森があり、キャラメルがかけ下った緑の斜面がある。

カツジや。この家の守り神はおまえだけではなかったのかもしれないよ。
 そう言えば、キャラメルが八歳の若さで亡くなったあと、私は彼の食べなくなったエサの残りをやっていた、庭の野良の黒い子猫三匹をつい飼っていて、彼らはそれぞれいい子たちだったが家出したり病気で死んだりしていなくなり、その一匹のアニャンをしのんで、私はハロウィンのハンカチの黒猫模様のやつを額縁に入れて新居のトイレの壁に飾った。それも十六年間、そのままに今もある。

よく覚えていないのだが、多分アニャンが死んですぐ、この家が完成して、私はどの猫を住まわせようかと決める前に、とりあえずの住人として、アニャンをしのばせるハンカチを、そこに飾ったのだ。キャラメルとアニャンと、二匹の猫が、この家を支えて、ともに暮らしてくれていたのかもしれない。私とカツジだけの家ではなかったのだな。道理で何となく、どこかにぎやかな気が今もする(笑)。

今日もまた暑くてバテている。世界陸上や大相撲やプロ野球や、いろんなものが一気に始まるから、ついついベッドで見てしまい、なかなか仕事が進まない。昨日は世界陸上のハードル競技が予選からずっと続いていて、何と過酷な競技よと驚いたついでに、プロ野球の周東佑京選手がボールを飛び越えて進塁するという珍しいプレーで皆を驚かせたのを思い出して映像を探してしまった。何でも親戚にオリンピックのハードル選手のおじさんがいるらしいのだが、直接教えを受けたわけでもなかろうに、飛ぶ姿がまったくかたちになっていて、DNAの恐ろしさに目をむいた(笑)。

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カツジ猫