ありがたい朝。
◇「しんぶん赤旗」によると、加藤紘一氏の葬儀で山崎拓氏が弔辞の中で、9条を変えないというのは君の遺言だ、と述べた由。山崎氏ってもう何が理由かも忘れたけど、いろいろしょうもない人だと思っていたけど、最近は本当にきっちりと自分の意見を言うし、心を打たれる。まさに「神を信じたものも、信じなかったものも」というレジスタンスの統一戦線の気分になってくる。
◇毎日朝から晩までコマネズミのように働いているのに、仕事が次から次から次へと、ヒドラの首かゴキブリのようにわいて出る。不思議でしかたがないが、しかし、よく何も食べてないのに太るという人は自分でも気づかず間食してるというのと同じで、私も自分でも気づかず、けっこうちょこちょこサボってぐだぐだ遊んでいる時間があるのかもしれない。そうでも思わないことには、どうもこの忙しさが納得できない。
今日も、机の下の棚の中から、ハロウィンの飾り物がごちゃごちゃ出て来たので、喜んで掲示板や窓辺に飾って遊んでいたら、もうこんな時間。今日はわりと暑くて、天気予報では貴重な晴れ間だから有効に使いましょうとか言っていた。いらん世話だと思いながらつい、シーツやベッドカバーを山ほど洗濯して干した自分が情けない。
◇この前、ちょっと書いた、大田洋子の原爆を描いた小説「屍の街」で、原爆の落ちた翌朝、河原に避難していた人たちの中で、ある女性が言ってたこと。引用しておきますね。
朝はやはり朝らしいおしゃべりがあたりからきこえた。
「やれやれ、ありがたい朝じゃね。なんにもすることがない。わたしゃァ生れて四十二年になるが、こんな用のない暇な朝ははじめてじゃけえ。」
婦人のうすら笑いが起った。
「これが家があってごらん。朝起きるとから寝るまで眼がまわる程いそがしいのにねえ。起きれば暗いうちに座敷から便所まで掃除をせにゃァならん。ごはんをたく。洗濯をする。子供の面倒も見にゃァならん。そのうちいつということもなく配給のカチが鳴ろう? 駈けつけて行かにゃァならん。戻るとまた煮たり焼いたり、それも有ってのことならいいが、これもそれもないないと云いながら、やっぱしなにやら煮たり焼いたりしよる。それがまあ今朝を見んさい。なんにもすることはいらんが。」
あのね、これ、焼け落ちた街が周囲のどこまでも広がって、あちこちまだ燃えていて、河原一面死んだ人や死にかけている人がごろごろしていて、生きている人たちも火傷で皮がはげ汁がにじみ、裸で骨が折れてたり、そりゃそりゃもう見る影もない地獄のような中での話なんですよ。でも私、この女の人の述懐は本音だと思う。回りの女性たちが笑ったのも共感してるからなんだと思う。こういう風に女の人は毎日働き続けていたんだと思うと、これを口に出して言ってくれた女性(その後どうなったのかなあ。被爆直後は元気でも、その後急に苦しんで死んでしまった人も多いみたいだから)も、しっかり書き留めた大田洋子も、本当にえらいというか、ありがたい。
ひょっとしたら今も同じなのかもね。大災害の時なんかの主婦の心境は。そしてまた苦々しく思い出すのは東北の震災のとき、避難所で男性は寝てるのに、女性は老若その他の区別なく炊事仕事をさせられたって話。男性の戸外の労働には報酬が支払われたけど、そういう炊事仕事にはなかったという話。
とことん悪魔的発言をすると、だから、この女性のように本当に非常時に女性が家事労働から解放されて安らかな朝を迎えられるのは、なまじ避難所なんか作る余裕もないほど、壊滅的な市民生活の打撃と破壊がなけりゃだめってことなのよね。そういう点でもこれは貴重な証言です。
「屍の街」の印象的なのは、ここに限らず焼けてふくらんで皮膚ははげて、人間のていをなしていないような男女が、夫婦でも親子でも一人の人でも、とても優しく暖かい人間らしいていねいできれいな言葉づかい気づかいで、普通のことを普通のように、いろいろしゃべってることです。当然ですけどね、醜い姿になったって、ついさっきまで昨日まで、ちゃんとした市民生活してた人たちなんですから。もう本当に私たちとおんなじ。今の私たちとおんなじ。そのことがしみじみわかる。原民喜の「夏の花」なんかもそうですが、これは決して恐い話じゃない。街と人間の、いとしさを描いた小説です。ぜひ読んでほしい。本当に。