ありふれて平和な八月の日々の中に。
◇さすがに涼しくなって来て、今夜は冷たい風が勢いよく窓から吹きこんで来て、扇風機さえいりません。私が映画の「ボブ」をほめちぎっているのを感じたのか(笑)、カツジ猫は今まで一度も寝たことのなかった、私の椅子の足元に丸くなって、くうくう寝息をたてています。
夏の間ずっとエアコンを入れっぱなしで、少しでも室温を下げようと、胡蝶蘭の鉢植えのある廊下以外は窓も廊下もすべてカーテンを閉めたままでした。部屋は薄暗かったけど、おかげで心おきなくベッドの上でいくらでもみだらなことができたし(笑)、テレビの音も夜中までそれほどしぼらなくてもいい(ちゃんと外に出て、どのくらい聞こえるか確認しましたとも)などと便利なことも多かった。これからはカーテンを開けて過ごすので、もうそういうわけには行きません。うっかり忘れて風呂上がりに裸で歩きまわったりしないよう、せいぜい気をつけておこう。
掃除機をかけたので、床もラグもすっきりして気持ちがいいのですが、ほこりの元凶のひとつである抜け毛のかたまりが、そのまま歩き回っているのが問題だと、さっき机の上で寝ているカツジ猫に、そろっとブラシをかけてみました。案外いやがらなかったけど、案外毛もとれませんでした。でももうそろそろ、夏毛から冬毛になって行くころじゃないのかいカツジや。
◇身近なおつきあいのいろいろを、さっぱりすっきりやめさせていただいたせいか、おかげさまで気分が軽くて体調もいいです。多分私の今の体力や気力では、このくらいのつきあいの悪い生活が一番楽なのだろうと思います。
それでも、まだまだ予定の仕事はさっぱり進まず9月に突入であせります。今日は書庫のダンボールを10個近く開いて中の本や書類を出し、ダンボールをたたんで縛って車に積みました。明日ごみに出します。おかげでまた居間や台所が、引っぱり出した本であふれかけていて、これは明日とっとと整理しないと。涼しくなったとはいえ、昼間は暑くて汗びっしょりになりました。それでも雑貨はかなり減って来たかなあ。どこかに押しこんでるだけかしら。
仏間はまだ何とかきれいです。ここは以前、書斎だったり寝室だったりした、私の一番好きな部屋で、そのせいか今も古い応接セットに座って本を読んでいると、ものすごくくつろぎます。目を上げて部屋のどこを見ても、気持ちが安らぎます。なぜなんだろう、部屋の持つ魔力なんですかね。
そこで昨日は「モンテ・フェルモの丘の家」を読みあげました。何かもう最後は色っぽい要素が加わった「渡る世間は鬼ばかり」じゃないかと思うぐらい、とんでもない人間模様でした。にぎやかで生命力にあふれていて、逆に無常を感じます。
同じ本に入っている「アルトゥーロの島」をずるっと読み出してしまいました。短編みたいな顔してて、けっこう長いです。主人公の父親崇拝があほらし過ぎて、いっそ気持ちいいです。女性がとことん排除されてる世界なんですけど、それですむわけないから、いったいこれからどうなるんだかね。
◇お盆のときに黒のフォーマルといっしょに買った、黒のワンピースが涼しくて軽くて、出かけるときはいつもこれを着てしまいます。薄いので透けるのに今ごろ気がついて、スリップかペティコートを着なくちゃと思うけど、このワンピースわりとミニなので、手持ちのスリップ類では微妙に長すぎるような。ゆめタウンの値引き券がたまっていたから、何か適当なのを明日物色して見ようかな。
ゆめタウンと言えば、ついにお米を買わないで月末までがんばりました。お盆にいただいたそうめんで食いつないだのですが、おかげで体重が増えたなあ。いっぺんに二把食べないで、一把ずつにするべきか。
などなどなどと、雑事の中に今日も過ぎて行きます。もう夜中過ぎまでDVD鑑賞ができないので、今夜は早く寝ることにします。
◇被爆者の谷口稜曄(すみてる)さんが亡くなられたのですね。こんなきれいなお名前だとは知りませんでした。さまざまな場での、一歩も引かない強い平和への訴えが今も耳に目に焼きついています。まるで、最後まで原爆と対峙するかのように、この8月に亡くなられたことに、粛然とせざるを得ません。
身体に刻みつけられた記憶とはいえ、忘れてしまいたい、消してしまいたいはずの思い出を、しっかりとにぎりしめ、高くかかげて最後まで、亡くなった多くの魂に代わって語りつづけることをやめなかった、その遺志を、及ばずながら少しでも、私も死ぬまでぜひ引き継がせていただきたいと、あらためて思います。