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映画「ボブという名の猫」感想。

◇昨日、ものすごく忙しい予定の中、奇跡的に時間をやりくりして見てきました。とても間に合わないと思っていたのが、無事に早めに映画館に着けたので、安堵のあまり、受け付けのお兄さんに「ね、ねこの映画…」と注文したら「ボブという名の猫ですね」と冷静に復唱されて、「そう、ボブだった」と言いながらチケットを買いました。

私は一応猫が好きですが、昔は飼えない子猫を捨てたり殺したりしたこともあるし、厳密に猫好きじゃないかもしれません。それに、猫好きというと皆が猫グッズをプレゼントしてくれるのですが、これは猫に限らないけど、人の好きなものをあげる時はよっぽど気をつけないと、目が肥えている分、好みがうるさいのよな。猫好きではない私の親友が「これかわいいだろう?」と自慢げに買ってくる、猫の置き物や壁掛けに私がかわいいと思うものはひとつもないので、とうとう、猫ものは買ってくるなと言い渡しました。彼女はあきらめて、今はアメリカやカナダに行ったときには、もっぱらオオカミのシャツやハガキを買ってきます。

◇映画でもそうで、ガーフィールドもマイケルもそんなに好きじゃないし、「トムとジェリー」は大嫌いだし、だいたいディズニーものでもジブリでもアニメでも何でも猫の出る映画に満足したためしがない(あ、猫バスはよかった)。
名作で知られる「ハリーとトント」にしてもそうだけど、猫はろくすっぽ演技をしてないし、いろんなしぐさや表情をつなぎあわせて作ってあっても、「あー、ちがうだろう、そこは喜んでないだろ(恐がってないだろ、くつろいでないだろ、淋しがってないだろ)」と、嘘っぽさが目について白けるし、もどかしい。

例のトラをCGでこさえた、「ライフ・オブ・パイ」なんか、ずっと前から楽しみにしていたのに、いざ見たら、その作りものっぽさが不気味で異様で、トラウマになりそうで、思い出すのももういやである。(おかげで似たようなことしてるらしい「ジャングル・ブック」をまだ見る気になれない。)映画というジャンルを超えて、あんな醜悪なもの、見たことがなかった。

◇「ボブ」は実写だからまあそこまでひどくはないだろうと思ったけど、期待がふくらむとまたひどい目にあうから、少しでも早く見てしまおうと、必死で時間を作って行ったのである。それでも映画が始まる前に、ついパンフレットとファイルを買ってしまい、あー映画がひどかったらどうしようと思いながら、まあこのトラ猫はかわいいから、ただの猫グッズと思えばいいかと自分をなぐさめていた。

そんな猫については好みが激しい私が見て断言する、この映画は猫映画として最高である(笑)。すごい、どうしてこんなことが、と、座席であんぐり口をあけてしまったほど、何から何までただもうみごとな出来である。
「英国王のスピーチ」を作ったスタッフとか何とか言ってたが、もちろん映画としても、よくできている。薬物中毒やホームレスの生活や実態や心境が、とてもリアルに伝わって来て、しかも英国王を描いたときと同様の、特別扱いしない等身大の優しいまなざしが、全編に流れあふれる。私がよく福岡で買っていた「ビッグイシュー」の雑誌の販売の様子も出てくる。自己責任とか勝ち組負け組とか吐き気のするような価値観で、人を見限り自分たちと切り離す感覚を、穏やかに力強く修正する魂が、ここにはある。そのような卑しく冷たい精神に毒され、それこそ薬漬けになっている私たちを、「断薬」する、優しいが容赦ない映画である。

◇…が、それはまあどうでもいい。いやどうでもよくはないが、それより何より、いやそれよりってことではないが、とにかくもう、この映画の主役の猫(実際にモデルとなった本人のボブが、ほとんど自分で演じている)が、もうすごいのである。
すべての動きとたたずまいに、かけらも不自然さがない。無理に作ったりあてはめた場面がない。飼い主の青年(これはもちろん俳優なのだから、そこがすごい)に抱かれたり、いっしょに寝たり遊んだりしている場面が、全部「本物」だ。しっぽの伸ばし方から首の曲げ方から頭の落とし方から、完全にすべて、本当にくつろぎ、喜び、緊張している。

いったいどうして、こんな撮影ができたのだろう。よいトレーナーがいたとか、それだけでは説明がつかない。やっぱりこのボブという猫が、ただものではないのだろう。ストリートミュージシャンであった飼い主のパフォーマンスにつきあって、街頭で多くの人とふれあってきた豊かな経験もあるのだろうが、やはり天性の度胸のよさや懐の大きさのせいだろう。こういう性格は変わらない。わが家の猫たちを見ていてもよくわかる。

◇動きや姿勢や鳴き声にまで、少しも「あ、ちがう」というような、その場面にそぐわない部分がない。マイクが良いのか、鳴き声だけでなく、ぐるぐるごろごろ喉を鳴らす音までもはっきりと聞こえるようになっているのには恐れ入った。そういうセンスもすごくいい。決していたずらに擬人化していないが、味気ないドキュメンタリーでもない。人と動物のふしぎな絆や関わりを、絶妙のバランスと距離感で描きだしている。

主役の青年を演じる俳優も、危なっかしそうでしっかりして、けなげで、心優しい今風の若者らしさ、中毒患者、ホームレスらしさが、にじみ出ていて名演だが、とにかく私は映画の間中、ボブしか見ていなかった。
私のような観客のいることがわかっているのか、ボブが黙って座って宙を見ている場面が相当多い。
そして、そういう場面のボブの顔! 表情、雰囲気、まなざし、これは絶対写真ではわからない。素晴らしい顔である。そんじょそこらの猫の顔ではない。「精神」のようなものがある。

美しいとかかわいいとか言うなら、他にもそんな猫はいる。ボブはもちろん、立派な顔だち、身体つきの、きれいな猫だ。だが、それだけではない。彼の顔には、ああもう情けないわが家のカツジ猫のような不安や動揺はかけらもない。目は静かに澄み、深く何かを思索している。かすかな悲しみとあきらめと、ありのままの現実をじっと見守る厳しさと力強さを、その目はたたえ、ひたすらに、相手を見つめる。期待とか励ましとかいうことばが荒々しく思えるほど、つつましい距離を保って、どこまでも相手を支えるかのようだ。救うのではない。どん底に落ちて滅びても、そのまま黙って認めて、見つめる、まるでもう、神の視線(笑)。私はほれぼれと、息をとめて、ただ彼に見とれていた。

こんな猫が部屋のすみに座っていたら、それはもう、落ちつくだろうし、心もひきしまるだろうし、前向きに生きる力も生まれるだろう

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カツジ猫