あーもう忙しすぎて。
◇何もできないし、明日も朝が早いとくらあ。で、今日はよそさまのツイログやなんかの紹介だけで、すみません。
先日の津留弁護士の講演会のとき、「さち・ド・サンファル!」さんのお知り合いというか生徒さんに会って、彼女のツイートを紹介しますと言ったのだけど、なかなか時間がなくて…こちらです。
https://twitter.com/sachi_girigiri/
しかしこのツイッター、ふだんは猫の画像とかいろいろ楽しいのですが、ここ最近は、授業にも出ていないしレポートも出していないのに、担当教官や保護者ぐるみで「単位を下さい」とせまってくる学生に疲れている、という記事が切実で、ちょっと笑えないのですけど。
「この採点は納得が行かない」とかの抗議じゃないのですよ。「すべて自分が悪いのだけど、そこを何とかして下さい、何でもしますから」という懇願なのですよ。もう、ある意味最強っちゅうか。
彼女も書いていますが、同じくらい苦しい状況でも、そんな頼みはしに来なかった学生も当然いくらもいるわけで、そういう人たちに申し訳がたたない。こんな申し出を認めてしまったら。
せめて担当教官は、そんなのの後押しをするべきじゃないと思うのですが、まあね、私も似たことしたことはあるからなあ。だからますます腹が立つのかもしれないけど。
よかれあしかれ、彼女は誠実なので、消耗度も大きいのだと思います。それと、私とはまたちがった部分で、人に甘く見られるとこがあるのでしょうね。一見奔放に生きてるように見える人ほど、一般の基準以上に厳しいモラルを持ってることって、よくあるんだけど、そういうのは見えにくいんだろうな。
◇こちらのツイログは、女性問題などに関する情報をよく伝えて下さるので、ありがたいのですが、昨日「女人禁制の島を世界遺産にする」ことにちょっとふれて下さっています。
こういういろんな情報や話題の流れの中におくと、このことの持つ意味も、また明らかになると、あらためて思います。
まあ、ぶっちゃけて言うと、私が沖ノ島の問題について、片手間じゃなく、どこまでやれるかは別として、死ぬまで正面から全面的に取り組む課題にしようと決心したひとつは、このツイログでいろいろいただいた情報によるところも大きいです。
この夏の戦争法案反対の運動の中で、フェミニズムの問題が下手すりゃ運動の分裂や崩壊につながりかねなかった、これからもそれはあり得ると思ったこと、そして、まだまだ日本における人権や性差別の問題は大きく、私の若いころのひどさと比べてよくなったと満足してられる状況じゃないと実感したこと、慰安婦の問題も少子化の問題も、すべてはそこにつながると感じはじめたこと、それが私の死ぬまでの生き方を、ある程度選択させました。ものすごーーーーく、ささやかにですが。
自分自身の中の女性に関する問題としてはちょうど10年前に「私のために戦うな」という本を書いて、解決したと思ったので、もう今後はこの件からは解放されて、専門の国文学の研究以外では、別の課題にとりくもうと思っていたのですよ。動物とか。格差とか。
でも、沖ノ島の問題がこの地元でこうやって進んでいることは、私にとって「死ぬまで女性問題やれ」という、それこそ神様からのお達しなんでしょうさ。
むかーし私、ソルジェニーツィンの本をほぼ全部読んだとき、まったく正しい感想じゃないのですよ、正しい感想じゃないのですけど、とっさに思ったのは、「あー、ソ連もスターリンも、誰をどれだけ収容所にぶちこんで苦しめて死なせてもよかったけど、ソルジェニーツィンだけにはこんなことしちゃいけなかったよなあ(その体験をこれだけことばにして文字にして芸術にして発信して影響与えてしまう人には。それが彼をそんな目にあわせた人や国家に対しては、戦車や核爆弾以上の攻撃力になるような人には)」と思ったものでしたよ。KGBのトップになりかわって、いやもうまったく。
もちろん、まあ同じような人が山ほど収容所で死んで、残った一人が彼だったにしてもですよ。
私はもちろん、彼みたいな立派な仕事はできません。執念も能力も何もかも、まるで足元にも及ばない。できることだって、知れているなんてものじゃない。
それでも、よりによって、この私がいる街でこんな世界遺産の計画なんかしはじめたことは、今後10年か20年か100年かたった時に結果として、そんなことしなかった場合と比べて、ものすごいちがいを世の中に生むかもしれないぞぐらいのことは、景気づけのためにも、一応ちらっと言っておきたい。
◇わ、何でこう長くなるんだ、もう日付も変わったではないか。仕事にもどるか、とっとと寝ます。