いいことは隠れてするもんだ
昨日は、夕方涼しくなってから(暑いと言っても、まだ日光はそんなに意地悪く強烈じゃない)、昼間は寝ている吸血鬼のようにのそのそ起き出して、まだまだ明るい庭の、鯉のぼりを片づけ、柿の木の鉢を一か所に集めて、即席の柿林を作り、ついでに土の袋をあけて、鉢に土を補充し、こそっと柿をまた二本ほど地植えして、戻って見たら、消し忘れていたテレビのプロ野球で、ホークスがいきなり7点入れていて目を疑った。その後も庭仕事で出たり入ったりしている内に、点差は21点となる。こんなことがいつまで続くのか知らないが、まあ、なかなか見られないものを見られるのは面白い。
ちなみに、この映画の一場面をパロディーにするのは、時事問題もスポーツもひたすらおちょくるという点で、あたかも江戸時代の黄表紙を思わせるのだが、このところホークスの無双ぶりがよくネタになっていて、笑いながらもういちいち紹介するのもきりがないとひかえていたが、今日のはちょっとお見せしておくか。下のコメントで、現地観戦の相手チームのファンが、「試合を見ながら、この映像が頭をよぎっていました」とか予感しているのが、どういうか、余裕があって、ちょっと救われる。
ちなみに、原典?はこれ。
上の家も少し片づけて、押入れの中をきれいにした。いろんな方針は定まっているのだが、まだまだ先は長い。
今日もまた昨日と似たようなもので、昼からばてて寝ていて、今から動き出している。夢うつつで国会中継を見ていて、岸田首相の時間稼ぎでしかない答弁にますます脱力した。これももう、昨日か今朝か忘れたが、政府が年に7万の減税をするのに、わざわざ給与明細書に「住民税、固定資産税、0円」と記述したいばかりに、各企業やその他の経理が事務作業で死ぬ目にあってるというニュースがあった。「何で一時金にしないんですかねえ」と、青息吐息といった顔で、担当者たちがぼやいていた。
そしてその理由がさ、首相に言わせると、「減税ということを国民に実感してほしいから」だと!
つまり、給与明細書に「0」の記載があることで、皆が「ははー、ありがたや」と身にしみて実感するように、大変な手間を使って全国の現場が混乱することはおかまいなく、自分らのしたことを宣伝したいらしい。
たかが7万やそこら、それも別に自分の金じゃない、もともとはこっちの税金で、何をもう恩着せがましく。
チェコの民話みたいに親しまれてる童話で「おばあさん」というのがあって、素朴な田舎の老女は、貧しい人に施しをするのを孫娘に気づかれないようにしていて、聞かれると「右の手が施しをしても左の手は知らないようにしておくものだ」と言う。キリスト教の精神って基本はそんなものだろう。
日本じゃ江戸時代に儒教が定着するが、その根本精神の一つに「陰徳」というのがあって、恵まれた人が善行をしても、それは隠して知られないようにするというのが、これまた基本の心がけだ。仏教だってイスラム教だって、きっとどこかで同じことを言ってるだろう。
宗教や道徳や思想の本物かどうかは、ここで見分けがつくってもんで、要するに信じてる神であれ、信者の各自であれ、すぐれた立派ないいことをした時に、見せびらかして宣伝するか、隠して知らせないようにするかが、本物かにせものかの違いである。
なお、私は今のところ、怪しげではあるが無神論者で唯物論者で、どんな神も仏も教祖も別に信じてはいない。だが、だからこそ、信者の人に負けないように、「自分のしたいいことは、人に見せない教えない隠し通す」ということは、絶対に心がけて守っている。そんな人は多いはずだ。
まあ昨今はそれではやっていけないことも多かろうし、政治の世界じゃ、なおそうだろう。だが、それでも心のどこかではかすかにでも、「見せびらかすのは恥ずかしい」「恩を着せるのはみっともない」という感覚はあるもんじゃないだろうか。ちょこっと減税して見せたのを、あらゆる犠牲を払っても(払わせても)、人に実感してもらいたいなんて、つつみかくしもごまかしもしないで公言しちゃう、あさましさ、下品さ、幼稚さ。ただただもう、情けない。
あ、またひとつ思い出した。高校か中学の漢文の教科書に載ってる(今は知らない)「鼓腹撃壌」って故事成語があってさ、中国の古代の立派な王様が自分の国をおしのびで見て回ったら、民は豊かで幸福そうで、腹をたたいて歌を歌ってて、でも支配者の王様の名は、だーれも知らなかったんだって。これが最高の理想の政治で支配者だって、大昔から伝わってる。
当の中国をはじめとして、今の世界の支配者はこれとは違いすぎるけど、それにしてもさ、「最高にうまく行ってる幸福な状況は、そうさせている支配者の存在に誰も気がつかないし、気にもしない」って、絶対、理想だしカッコいい。ちなみに私は教師だけど「いい先生」「立派な先生」なんて皆に言われる教師は、まだまだだめだと思っている。それも、この語の影響かしらん。
岸田さんには、こういう感覚がないんだろうなあ、それこそ、かけらも、これっぽっちも。ないってことが人に知られるのを恥ずかしいって感覚さえもないんだろうなあ。
人類って、発達しないものだよなあ。答えはずっと大昔にもう出てるのに。