いただきものって、続くもの
今朝、ハロウィン用に素敵なお花のアレンジをいただきました。
何とか窓に飾って道行く人に見せびらかしたいんだけど、とりあえず、置床の上において、一人で楽しんでいます。
カッコよくって、きれいだよー。
そして、さっき外に出て見たら、久しぶりの雨!
これは天からのいただきものだなあ。
そりゃそうと、「窓辺におく」話で思い出したんですが、昔読んだミステリーかエッセイか、その両方か何かで、「あの家は窓辺にものを飾ってるけど、人形とか置物が皆外に向けられている。住人はひと目を気にし、外見を気にするみえっぱりで、本当に好きで置いているのじゃない」みたいな発言があったのだよね。
私はそのころも今も、窓辺に何か置くときは、わりと外を向けておくので、「あれー?」と思ったのだけど、私にして見れば、今おいている、耳の片方欠けた白いロシアの馬さんも、母が残した野球人形も、「外の景色を見せてやりたい」と本能的に思ってしまうからなんだけどねえ。
何しろ昔から、乗り物の窓から外を見るのが大好きだったし、猫がいつも窓から外を見ているのも見慣れてるしで、人形や置物も、絶対に外を見てる方が楽しいだろうと思ってしまうの。
そういう心理って、あのミステリーやエッセイの作者には想像つかなかったんだろうか。