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いつ死ぬか

あは。物騒なタイトルでごめんなさい。
 大したことじゃないんですけどね。

私の故郷の田舎に、村岡さんという共産党員がいました。土地の名家で素封家で、ご本人も優秀で東大に行かれたのですが、戦時中に反戦活動をして逮捕拷問され、その後遺症で身体も小さく曲がっておられ、退学になって家とも絶縁し、一生を共産党の活動に捧げられました。市長選に立候補されたとき、学生だった私は選挙カーに乗ってウグイス嬢(笑)をしたことがあります。亡くなられたとき、追悼の文集を仲間の皆さんが作って、そこに寄稿を頼まれて、あらためて経歴を拝見しましたら、さまざまな抗議活動や抵抗運動と、その結果の処分や懲罰で埋め尽くされていて、圧倒されました。「他人のどんな素晴らしい輝かしい経歴を見ても、うらやましいとか憧れるとか一度も思ったことはないが、このまったく賞された記録がなく、罰されたことだけが並ぶ経歴には、本当にかなわない、うらやましいと心から思った。できるわけもないが、憧れた」みたいなことを私は書きました。最後まで、信念を守り、何事にも屈せず、平和を守る活動にすべてを捧げた方でした。

共産党に限らず、こんな生き方をされた無名の方は、国内外に、いつの時代にも決して少なくはないでしょう。深いおつきあいはなかったですが、そんなお一人とふれあうことが出来たのは幸せだったと思っています。
 村岡さんが亡くなられたのは、共産党をはじめとする革新政党が国会に多数当選した年でした。私の母がくり返し、「村岡さんは、日本の夜明けを見ることができてよかった。あの人がめざしていた世の中が訪れるきざしを最後に目にして死んだのだから幸せだ」と言っていたのを今でも覚えています。

実際には、それから何度か行ったり来たりをくり返しながら、共産党をはじめとする革新政党はそれ以上の勢力を持つことはできず、社民党になった社会党も今や消滅寸前で、共産党も劣勢を余儀なくされ、平和憲法も、それ以前の民主主義も、世界や日本で相当の危機にあります。

『情けあるおのこ』の最後にもちょっと書きましたが、私は子どものころから「朝の来ない夜はない」ということばを聞くたびに、あんまり励まされないで、「ということは、また夜が来るんだけど、そこはどうすんだ」と思っていました(笑)。
 村岡さんの一生や母のことばを思い出すと、そのどちらも納得し共感すると同時に、さて自分は朝の光の中で死ぬのと、闇が迫る中で死ぬのと、どっちが幸福だろうと、ふと思います。どうも自分の性格や、これまでの体験から言って私は、昇る太陽を見ても「いずれ沈むんだろうな」と変にあきらめ、暗黒を前にしても「こんなのは長続きしない」とか妙に安心しそうです。先憂後楽ってやつも度が過ぎると、先に行き過ぎて一廻りして、自分がいったいどこにいるのか、何がなんだか、わからなくなりそうな。

何となく、今ぼんやりと考えているのは、地球や世界が滅亡するにしろしないにしろ、とにかく今のこの時代を私がまかされたのはしかたがない、人にやらせるよりは自分で担当する方が、どうなるにせよ、気が楽かなという感覚です。
 「ママ戦争止めて来るわ」と考えた若いひともいるのだから、メディアはさっぱり報道しませんが国会前に戦争反対で集まった八千人の中には若者も多かったようだから、こういう感覚に世代は関係ないでしょう。
 一方で、このような感覚を揶揄し、まったく理解できない人も、これまた世代に関係なく存在するのでしょう。
 それはしかたがないことです。絶対に困るのは、高市首相がどう見ても、後者でしかなさそうなことです。

写真は先日行ったエジプト展のミイラ。むふふ。

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カツジ猫