いやはや
◎大阪市長が文楽への予算(3500万円?)をカットすると言っているとの毎日新聞の記事を読んで、「特権意識にまみれた集団」とか怒っているらしいのには、怒るとか悲しむとかを通り越して笑ってしまった。
今、歌舞伎の人気は大変なものだが、江戸時代の大阪では今の道頓堀のエビやカニのネオンがうねっているあたりに、文楽(人形浄瑠璃)の劇場が、近松門左衛門が座付き作者だった竹本座をはじめ、5つの劇場がひしめいて大変な盛況だった。「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」「義経千本桜」の今、歌舞伎で代表的な有名な演目は、もともとはすべて文楽の脚本として書かれて大人気だったのを歌舞伎が使って、これまたヒットしたのである。
文楽は人形芝居で歌舞伎より地味な感じだが、独特の雰囲気があって時には歌舞伎以上の迫力があるし、異空間に連れ込まれるような不思議な魅力がある。
幕末には歌舞伎に押されて衰退し、竹本座のあとも今では道頓堀に小さな石碑が残るのみだが、芸術的には歌舞伎にもまったくひけをとらない日本が世界に誇っていい伝統芸能だ。
細々と継承されていたのを、この何十年かの間に大変な努力をしてやっと大阪に国立劇場を作り、何とか各地で公演できるようになって地方でも見ることができるようになったのを、とてもありがたいと思っていた。私だけではないと思うが国文学の関係者だったら、文楽の仕事をしておられる方々の努力と芸のすばらしさ、それに見合わなさすぎる現状は、この数十年ずっと「不遇」というイメージしかない。
言わせてもらえば3500万円程度の援助が打ち切られて、行きづまるほど大変な運営をしているのかと、あらためて身につまされる。人間国宝の方々だろうに、ぜひとも「特権意識」にまみれてほしいではないか。そういう方々が特権意識を持たなくて、持てなくて、誰が持つのだろう、この国では。
大阪市長は前に国歌斉唱の問題で、国旗や国歌に対する正面からの論議をさけて、「規則に従わない公務員は問答無用で処分」という、そもそもそういう条例が成立したときのことを考えると話がちがう言い方のスタンスで対処した。だからまあ、愛国心とか日本人の誇りとかいうことに関しては、さほどやかましくない方なのかもしれない。だが、国旗や国歌を一応大事と思うのなら、これだけ日本が世界に誇れる伝統芸能に対する尊敬も愛情も皆無にみえるのはなぜだろう。
まあ、あれだけ原発に反対して国を激しく攻撃していて、あっさり引いたぐらいだから、今度も荒っぽく怒ってみせて、手のひら返して親切にしてその落差で好感度を上げようという、いつもの手法かもしれないが、回りはたまったものではない。
それより、こんなに文楽に目くじらたてている原因は、どう考えても少し前、毎日新聞が特集した、大阪市の予算カットで何が削られているのか、という報道で、いくつか紹介された事業の中に文楽が入っていたからとしか思えない。
大阪市長の知事時代の誰もが認めた功績は大赤字の解消にあった。しかし、その中でどういうことが犠牲になっているかということに注目すれば、その功績にも曇りが生じる。というわけで、あの記事は大変困るし腹立たしいものだったはずで、「今後、そういう取材に応じたり不満をもらしたりしたら、こうなるぞ」という見せしめのつもりなんだろうとしか見えない。
以前、大阪府の職員が取材に対して知事への不満をもらしたら、処罰するとかいうことだったが、それと同じ図式を市民レベルでも使う気なのだろうか。
私はこういう人はまあもうどうでもいいのだが、これを持ちあげたり注目したりする人たちの責任は、ものすごく重いと思っている。