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いらつくなあ(4)。

そりゃ、大変なことの最前線、現場の状況というのはそんなもんで、のんきによそから見ているしかない私たちにはわからないことが、たくさんあるんだとはわかっているが、原発の作業員の人たちに、長靴くらいはかせてあげてくれてたっていいじゃないか、もうほんとに。

ものすごく高級な、わけわからんことで被害や犠牲者が出るのならまだあきらめもつく…わけはないが、しかし、長靴があったら無事にすんだかもしれないって、そんなシロウトの私にわかるような話で、あんな重大な作業している人に被曝させてしまうなんて。

あらためて、あらゆる意味で、現場の状況が私たちには何もわからないんだなあと痛感する。自衛隊員や警察官、消防署員の人たちは職業としての誇りも覚悟も責任感もあってのことなんだろうけど、その他の電気会社の職員の人たちって、どういう立場で、どういう気持で作業に携わっておいでなんだろう。

どこかのニュースでちらっと見た、「犠牲的精神や、英雄のような気持ちではない。この仕事を断ったら、あとで仕事がなくなるから選択の余地がない」というような発言をされていた作業員の方のことばがとても気になる。

私にはまったく仕組みも事情もわからないが、下請けのような仕事をされている方々が、やむを得ず現場の作業をしている場合もあるのだろうか。仕事を失わず、生きていくために危険をおかす。それはまるで、エイズを恐れていては今日の食費がなくて飢え死にするからと、売春をする貧しい国の少女と変わらないではないか。そんな人々の献身や犠牲の上に、私たちの未来や安全は築かれるというのか。

戦争にしても原発にしても、やるからには、身分の高い地位の高い、恵まれた立場の人が先頭にたって危険をおかすのでなければ意味がない。それがいやなら、やってはいけない。
もうずっと昔、友人が教えてくれたのだが、原発の現場で危険な作業を担当するのは正規の職員ではなく、日雇いの出稼ぎの労働者の人たちで、その人たちが労働組合をやっと作って、最初に要求したことは、放射能がある危険な場所に入るときの作業日誌を鉛筆でなくボールペンで記入させろということだったそうだ。
つまり、鉛筆で書かせて、危険な現場にいる時間が長過ぎたら、上司があとで修正して、時間を書きかえ、問題ない書類にするという改ざんがふつうに行われていて、労働者たちは健康に強い不安をずっと感じていたからだそうだ。

もうそれは何十年も昔の話だ。でも、その話を聞いたとき、怒りと悲しみでほんとに目まいがした。この国が、私たちが、そういうことを改める力を持たないなら、原発を持つ資格はないと思いながら、それ以上、私は何もできなかった。

今は少しはちがっているのか私は知らない。いずれにしても、今、日本やひょっとして世界の将来も、原発で作業中のわずかな人たちの努力に托されているのはまちがいない。どんな理由でも、どんな事情でも、彼らは皆、英雄だと思う。
けれど、それこそ映画の「父親たちの星条旗」のように、美談や伝説のかげに、重い実態をかくしてはいけない。マスメディアはそれを報道しなくてはいけないし、私たちは知らなくてはならない。

ありえない、理想的なかたちを求めるなら、国民がひとり残らず、30分でも1時間でも、このような危険な作業に従事して、放射能を受ける被害を分担すべきだ。そんなことができっこないなら、せめて、危険をおかす人たちに、最高の補償と報酬を与えるべきだ。

それもできないというのなら、私はせめて、どんな理不尽や不合理や不条理の上に、私たちの未来(来るんだろうな)が築かれたかを、きちんと知っておきたい。

払われた犠牲の実態を知らないままに感謝する大衆が、パニック映画のラストシーンにはよく登場する。そのようでありたいと願う人たちも、もちろんいていい。けれど、私は知っておきたい。何も知らない無邪気なバカでいたくない。

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カツジ猫