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いろいろアップ中

お知らせが少し遅れましたが、「研究の沼」のコーナーに、小さなコラムや文章を、いくつかアップしています。
特に、中野三敏先生が「江戸を歩く」に寄せて下さった紹介文は、当時は気づかなかったのですが、今読むと、私の本と言うより紀行研究の要点について、きっちり述べていただいているのに、あらためて(ほんと今さらですが)驚きます。

これを十分活かしきれないまま、この年になってしまった自分に忸怩たるものはありますが、まあこれからも、行けるところまでは行ってみようと思ったりもしています。

そんなこと言いながら、「朝の浜辺」に出している「お買い物と文学」も、補充して加筆訂正もして、今月中には電子書籍にしたいと思っている私も、本当に身の程知らずの優先順位で仕事してるよなあ。

今日は空気や風は冷たいけれど、陽射しもあって、まあまあのお天気でした。これなら大学入試もそれほどひどいコンディションではなく実施できたのかなと思っています。
もう何十年も前、自分が受験生のとき、私は受験制度というものに、あらゆる点で腹を立てていて、最悪の気分で受験し、合格してもちっともまるで全然嬉しくありませんでした。そのことを、大学に勤めるようになってから、つい学生に話したら「信じられーん」と狂人を見るような目で、鼻で笑われて、ちょっとは自分とちがう感覚で生きてる人間のことも理解しようとせんかいと思ったけど、もうそれを口に出す気にもなれなかった。

そのへんの気分については、「空想の森」コーナーの小説「細菌群」のラストやら(そこで、主人公の一人の少年の手紙に書いた、その時の私の心情に強く共感してくれたのは、「マスター&コマンダー」の予告編問題にともに取り組んだ一人の女性でした。学生の反応に脱力したときと逆に、その女性の反応に感動しすぎた私は、かえって何も言えずにそのままにしてしまったけど)「私のために戦うな」の中の「闇の中へ」の冒頭やらに、いろんなかたちで書いています。

何しろそんな気分だった私が、自分の受験の前後に一番傷つきムカついていたのは、マスコミや一般の人たちの「受験生皆がんばれ」というエールでした。
競わせておいて、生き残りをかけて争わせておいて、「どっちもがんばれ、誰もがんばれ」と励ます、その偽善と高みの見物のひとごとと、いい気なものののんきさが、むしずが走るほどいやでした。下品で無責任で残酷な、コロセウムの観客にしか見えなかった。

もしも、どうでも私を応援したいのなら、私だけ応援して、他のやつは皆落ちろと言う方が、うっとうしいなりにまだ、がまんができると思っていた。

今でも私はオリンピックでも選挙でも恋愛でも、「皆がんばれ」「どっちもがんばれ」と応援するやつが嫌いです。誰かを好きなら、その人のライバルは皆憎めとさえ思います。少なくとも私は、そんな気持ちで応援されたり愛されたりは絶対にしたくない。私より他の人に心が移ったら、もう即そっちに行ってほしい。「本命はあなた」なんて、バカにしすぎたせりふ、死んでも聞かせてほしくはない。

あ、言うまでもないことですが、もちろんライバルを憎むとか言っても、そこはきちんと節度を持って、少しでも公式の場では、失礼なことやひどいことは言ったりしたりしないのは当然の常識です。一昔前の女子フィギュアスケートの、あんなライバル攻撃するファンはもっと単純露骨な意味で、最低としか言いようがない。

まあそんなわけで(どんなわけだよ)、私はどんなかたちででも「受験生の皆さんがんばって下さい」とか言いたくないのだよね。特定の誰かががんばってほしい、合格してほしいと必死で祈ることはあるけど、それは当然、他の誰かの不合格を祈ることでもあるのだからね。そのくらいわかった上で、私は祈って、願う。

受験制度って、皆の幸福と成功を祈れる制度じゃないのですよ。そこが多分、私は一番嫌いなんです。
それができるかのような顔や態度や発言をする人たちが、許せないんです。いつも、いつでも。

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カツジ猫