お買い物と文学1-じゅうたんを買う夫妻

特に名作でもないだろうと思うのに、個人的に変にはまってしまう小説がときどきある。これはもう相性とでもいう他ない。私の場合はジェフリー・アーチャーの短編「掘り出し物」なんかがそうである。

これは『十二の意外な結末』という文庫本の中に入っている。ちなみにサマセット・モームにも「掘り出し物」という同じ題の短編があって、これも私は好きなのだが、内容はまったくちがう。
モームのは最高に有能なお手伝いさんの女性を描いた、ある意味男性にとっては夢のような話で、ジェフリー・アーチャーの方は、つつましい寄宿学校の先生と、そこの学生寮の寮母をしている奥さんとが、お金をためては外国旅行に行って、ていねいに下調べした旅先で独自の土産を買うのを楽しみにしている話だ。
今回はトルコに行くと決めた彼らは、例によって図書館で本を借りて充分に調べ、質素だが有意義な旅を過ごそうとする。土地の名産品は古代からの伝統を受け継ぐ、精緻に編まれた絨毯で、二人は予算内でできるだけよいものを買おうと計画している。

ところが旅先で、生徒の一人の保護者夫婦に出あってしまう。こちらの夫婦は金持ちでヨットなんかも持っており、悪気はないが強引な俗物で、おとなしい教師夫妻を自分たちの豪遊につきあわせ、おかげで二人の計画はすっかり狂ってしまう。最後の日はうまく金持ち夫婦をまいて、市場に念願のじゅうたんを探しに行こうとしていたのだが、またしても捕まって、とても彼らの予算では手の届かない高級な絨毯店に連れて行かれる。金持ち夫婦はそこで金にあかせて最高級の絨毯を買おうとしているのだ。

ジェフリー・アーチャーは政治家で貴族で人気作家だが、小説は大衆文学と言っていいし、職人風の器用なうまさで読ませるが、すごく深遠とか高尚とかいう作品ではない。彼の多くの他の作品も全部は読んでいないが、それほど感銘を受けたものはない。それを言うなら、この「掘り出し物」だって、特に感動したわけでもない。ただ、本当に快いし、いつ読んでも大満足してしまう。大したことが起こるのでもなく、結末も十分に予想できるのに、それでも読むたび気分がいい。

買い物を題材にした文学は最近では『レベッカのお買い物日記』という何と文庫本六冊にわたる買い物中毒の女性の話をはじめ、いくつかあるし、買い物の場面だけならもっと多い。その中でもダントツで私がこの「掘り出し物」を好きなのは、自分でも不思議でときどき理由を考えて見るが、よくわからない。
地道に調査し、決してズルをせず、納得のいくかたちでいいものを手に入れ、買い手の自分も相手の売り手も満足して幸福になることをめざしている、勤勉で正直で努力家のこの二人がきちんと報われることがうれしいのだろうか。ありそうでめったにないが、またまったくないわけでもない、この奇跡が感動的なのだろうか。

えげつなくて抜け目がない割りに、相手の文化や品物の品質にはまるで関心のない金持ち夫婦も、読み終わって見ればそれなりに自分の価値観を押し通し、幸福になっているのだから、これはこれで痛快な生き方かもしれないと好意を感じてしまえる。人生は、特に商売や売買に関しては、どうしても勝ち負けや損得が生じるのだが、この小説では明らかに大損をした敗者で、だからこそロバーツ夫妻の幸福を目立たせる、この金持ち夫妻も本人たちの満足度や幸福度を考えれば、決して損をした敗者ではない。
そこがものたりない、という人もいるのかもしれない。だが、ロバーツ夫妻も私も、自分の幸福が少しでも人の不幸を生むのはいやだと感じる、ぜいたくな臆病者だ。金持ち夫妻が何一つ傷ついていないということは、ロバーツ夫妻や私の幸福を生む、最大にして欠かせない要素でもある。

そして、したたかにスマートな高級絨毯店の主人。神のように大胆で悪魔のように容赦ない彼は、百戦錬磨の抜け目ない苛酷な商人であるだけでなく、多分芸術家、生産者、現地人としての誇りや価値観も持っているから、ただ金もうけだけのために生きてはいない。彼はロバーツ夫妻も決して甘やかすことなく、きちんとかけひきをし、試した結果、「わたくしはこの小さな絨毯が、明らかに本当の値打を知っておいでのご夫妻のお宅に敷かれることを心から喜んでおります」と、買い手としての評価を与えた。
彼は一方で十分すぎるほどの利益を、金持ち夫妻からむしりとっていて、この儲け分がなかったら、ロバーツ夫妻に恩恵を施すことはなかったかもしれない。そこがまた、きっといいのだ。

マーガレットはくすんだ緑の地で周辺に小さな赤い正方形の模様を織りこんだ一点に惚れこんだ。あまりに複雑精緻な模様からしばらく目がはなせなかった。好奇心から寸法を測ってみると、きっかり七×三フィートあった。
「たいそう目が肥えていらっしゃいますね」と、絨毯商が話しかけてきた。
マーガレットはほんのり顔を赤らめて急いで立ちあがり、一歩退って巻尺を背中に隠した。

妻のマーガレットが好みの絨毯とめぐりあう瞬間だ。他の部分も全部引用したいぐらい好きでならない。この単純で他愛ない話が与えてくれる幸福感について、私はまだまだ語れそうな気がしている。

で、これが私の家の小さい小さい玄関に敷いてある絨毯。というか、ラグ。
私の叔母の家には、さまざまの見るからに上等そうな、この手の敷物があって、叔母の死後、他の荷物とともにそれをもらった私は、田舎の大きな家のあちこちに置いては楽しんでいたが、それらの家を人に買ってもらって手放して行くにつれて、今いる小さな二軒の家にはそんな立派な敷物を敷く場所はなく、しかも立派なものほど猫が大好きで、ばりばりつめをとぎだすから、彼らのいるところには置けず、困ってしまった。

結局、ほとんどを親戚にもらってもらい、数枚だけを残して、猫が行けない玄関に敷いた。どんなのが上等かもわからないまま、数ある中でも薄いものだけを残したが、それでもどことなく立派で、私が買えそうなものには見えない。
二軒あるうちの、こちらの家の玄関はとても狭いので、ここにはまるサイズのものがあっただけでも奇跡だった。
というわけで、ロバーツ夫妻の掘り出し物には及びもつかないが、大切に使っている。雨の日などに絨毯を汚さないよう、帰ったときに、ちょっと荷物をおくための壁際の小さい台も、叔母が使っていたものである。

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