うごめく好奇心
もしくは「好奇心は猫をも殺す」って言うんだっけ、ことわざじゃ。
叔母夫婦のお墓のあるお寺のご住職は大学の先生で、西洋史の研究者でもある。私がときどき、しょうもない自分の本をさしあげていたら、いつもいただくばかりで恐縮でと、こっちが恐縮することを言われて、立派で面白い本を送って下さった。映画で見る中世ヨーロッパという、大変そそられる本で、引用されているたくさんの映画は、昔、映画館で見たものも多く、すっかり夢中になった。
そのついでに、多分高校生のころ、近くの町で見た騎士物語風の洋画を思い出し、当時一人で作っていた雑誌「柳かげ」に感想を書いたのを思い出し、ここに載せようと探したところが、果たして雑誌が見つからず(どこかにはあるのだけど!)、欲求不満でくすぶり続けるままに、たしかフランコ・ネロが主演した「キャメロット」という映画ではなかったかしらと思い出し、つい検索したらDVDがあって、中古品は安かったので注文してしまった。届いたのだが、さてこの映画だろうか。ちょっと不安だ。
飼い猫を多くみとってきたのに、しばらく時間が空いたので、どうやって看病してたのか思い出せない。愛猫キャラメルが白血病でどんどん体重が減って弱っていく間、連日身も世もない思いをして、なかば夢のように過ごした。そのころ気分転換で必死に読んでいた本が、ミステリの「慈悲のこころ」と「渚にて」と「ロリータ」で、もう二十五年も経つのに、今でもそれらを読むと内容の悲しさや虚しさや切なさとともに、妙なつらさが混じってくる。
そう不愉快なものでもないが、それを思い出すと、ついまた思い出がからむのが気になって、今の飼い猫のカツジが闘病中は、なかなかこれという本を読む気になれなかった。死ぬほどしょうもないライトノベルかなんか探そうと思っても、いつも行くスーパーに入っていた大きめの書店が撤退してしまって、そういうときにつまみ食いする本が買えない。きっと映画やDVDを見ても同じだろうから、「キャメロット」を見るのもささやかな決意がいるなあ。というわけで、つい、テレビのしょうもないバラエティーだとかを見たり、パソコンゲームにうち興じたり、貴重な晩年の時間を無駄に使っている。
その飼い猫カツジは、まだもぞもぞと動いていて、家のあちこちで寝ている。大変な生命力だ。もしかしたら自分もこうなるかと思って、ちとびびる。
他の猫たちもそうだったが、トイレには最後まで律儀に行く気のようで、ただおしっこのあとをきれいになめる力がないのか、長い毛が少しぬれている。せっかくだから、さっきお湯で全身を拭いて、乾いたタオルで水気をとってやった。うざそうにしていたが、気持ちよさそうでもあった。今はまた、ふわふわきれいになって、床でおねんね。私の方は、うーん、することがあるようでないから、夕食でも作るかな。古古古古米は、けっこう、いける。
しおれかけたカーネーションを首だけ切って器に入れた。ケーキみたいで、あと何日か楽しめそうだ。
