1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. うしうしよしよし

うしうしよしよし

寒くなったので着ようと思ったセーターが二つとも見つからないのでクサっていたら、昨日の朝めでたく衣装ケースの底からどちらも見つかった。よしよし。

二つのうち一つは、昔、母がパートで編んでいたものだ。ご近所の奥さんたちといっしょにやってて、物差しで測って一センチでもちがったら戻されるので「だって、少しは大小があった方が買う側にとってもいいんじゃないの」と、いつも文句を言っていた。

ノルマの枚数を仕上げると、母はいつも自分用に、同じものを一つ作っていた。だから、セーターやベストがそこそこたくさん残っている。中にはカッコいいものもある。
 もったいないし、洗うと縮むからクリーニングに出すしかないから、これまでほとんど着たことがなかった。しかし、こっちもあと何年生きられるかわからないから、このごろ毎年、少しずつ着てみている。

そうなると、よせばいいのに、それぞれのセーターやカーデやベストを思い切りカッコよく見せるコーディネートをついしたくなる。この十年ほど服なんて買ったことがなく、それでもいろいろなものが余っているというのに。

この、わさび色みたいなセーターには、たまたま若い人へのプレゼント用に買って結局自分にしてしまった、アイルランド製の毛糸のマフラーが、あつらえたようにぴったり合う。緑がかった帽子も目下物色中で、ぴったりのを先日見つけたのだが、一万五千円でさすがに手が出なかった。

こちらのプルオーバーも下に着るセーターが、白や黒でもいいのだが、そこをもう少し面白いえんじや、クリーム色でそろえられないかと、最近さがしているが、なかなか行き当たらない。

今朝だっけ、テレビかラジオかで、首相が宣伝ビデオを流してて、「強い防衛力で平和を守る」とか言っていて、笑ってしまった、笑ってる場合ではないが。

ちゃんと見てるのでも聞いてるのでもないから、確かではないけれど、これまで「平和」なんて言ってたっけな、この人も、この党も。

明日の投票先は、とにかく「平和」と「憲法」を口にする党や候補者に入れて下さい、自民党やその他の戦争防ぐ気のない勢力は、絶対にこのことばは口にしませんから、と私は言ってきたのですが、今の首相なら票欲しさに魂(あればですが)も売りかねない気がするので、ひょっとしたら、「憲法を守るのは私の悲願でした」ぐらい言いかねないぞと冗談言ってたのが、まさか、それに近いことになるとはね。「ほらね」と言いたくなっちゃいます。

ちなみに、「平和を守るための防衛力」は、

その1 いくらあっても足りません。下手なギャンブル好きと同様、金をつぎこむだけの泥沼です。

その2 防衛力を本気で考えるなら、食料自給やインフラ充実、教育と医療の充実など、足腰をきたえておかないと、武器だけ買っても何にもなりません。

その3 そもそもドローンで攻撃されたらイチコロの原発を海岸線に並べておいて、どこが防衛力ですか。

その4 防衛力は軍隊や武器の強化だけではなく、平行もしくはそれ以上の外交努力がなければ意味がない。その努力を現政権がしましたか。近隣国との関係を悪化させたうかつな発言をなど考えると、最高の防衛力は現政権の退陣です。

みたいなことが、あっという間に思い浮かんで、きりがありませんが、まったくもう、この首相の、消費税と言い、人に気に入られそうなことばは、全力で拾ってくっつけるのは、醜悪な化粧とアクセサリーで固めたセンスもゼロの女性(今どきそんな人もいませんけどね)を想起しますよ。

芸能人やタレントの中に「自民党批判」の発言が増えていることがニュースになっています。それがあまり影響力を持たないことを、すかさず揶揄するニュースも見ます。

ひょっともしかしたら、創価学会の信者の方が発言されている場合もあるのかもしれませんが(それほどに強い勇気と確信がいることでもありますから)、それも含めて勇気ある、そして当然の行動だと思います。これまで政府を擁護したり支持したりする芸能人や有名人の発言は、まるで政治的でさえないかのように、だだ漏らしされて来たことを思えば余計にね。

影響力がどの程度あるのかないのか知りませんが、あたりまえでしょ、ほぼ初めて政府批判の発言する人が、そんな説得力やアピール力持つ発言をいきなりできるわけないですやん。ホークスの斉藤和巳二軍監督が言ってるように(唐突でごめん)、人の心にしみこむことばなんて、時間も手間もかかるんですよ。

むしろ、それらの人たちが今回初めて発言したことに私は力づけられる。尊敬するし応援する。明日の選挙結果がどうであれ、それはひとつの始まりです。今後の世界と日本にとって、どんなにささやかでも、とても重要な。そして貴重な。

亡くなった母は戦時中軍国少女だったのを反省して、戦後はずっと共産党や社会党を支持し、平和運動に協力して、選挙のときには、平和憲法を守る候補者の街頭宣伝の演説の間、周囲でビラやチラシをまいていました。

つったってもね、田舎ですから、そんな演説に集まる人なんてほぼいない。候補者はたいがい、田んぼの中の空き地で一人で、周辺の森や遠くの山に向かってマイクでしゃべっていました。だからチラシをまく母たちも、かなり遠くにある家々の庭先まで毎回走って行って、郵便受けにチラシを入れたりしていたようです。

そんな街頭宣伝やビラまきが一部制限されるというニュースが流れたとき、母が怒って「あんな演説、誰も聞いてないし効果がない、と言う人もいるんだろうが、それはちがう。遠くの家までチラシを配りに行くと、必ず庭先や木陰に立って、マイクの声にじっと耳を傾けている人がいる。出て来なくても目に見えなくてもそうやって、こっそり熱心にずっと聞いてる人たちは、いつもいるんだから」と、くり返していたのを忘れません。

母に聞かされなかったら私もそのことは知らないままだったでしょう。知らない人も多いでしょう。
 でも、今でも町の広場や駅前を埋め尽くす聴衆を見るたびに、私は母のそのことばを思い出します。夕暮れの田舎の庭先で、遠く聞こえる候補者のマイクの声をじっと動かず聞いている人たちの姿が。自分では見たこともないのに、あざやかに。

誰も聞いてないようでも、影響を受けていないようでも、必ず耳をかたむけている人がいます。聞いて、考えている人たちはいます。
 母のおかげで、私はそれを知っています。

子どものころの村の選挙でも、その後の学生や社会人として携わったいろんな選挙でも、私の応援した側はたいていが負け戦でした。でも私に無力感や敗北感はありません。そうやって歴史や社会の一部を確実に築いてきたという実感が常にあります。勝者だけが世界や社会を動かすのではありません。抵抗し、反逆した者がいるからこそ、勝者もそれに影響を受けるのです。

先日のニュースでアナウンサーかキャスターの誰かが、「選挙で民意を決めるのですから、選挙の結果は民意ですから逆らえません。それほど大事な選挙ですから、どうぞ投票に行って下さい」みたいなことを言っていました。
 もしかしたら、現政権への批判や否定を願っての呼びかけだったかもしれませんが、たとえそうでも、この発言は大まちがい。周囲が皆スルーしたのも困ります。

選挙は一か八かのギャンブルじゃない。スポーツ競技でも受験でもない。その結果が正解で、従わなきゃならないなんて、とんでもない。
 明日、いやもう今日か、私は自民党が大敗北し、現政権が退陣すれば、日本のためにはさぞよかろうと思っています。でもそうならなかったとしても、戦うことも訴えることも考えることもやめない。財布落としたからって買い物はやめない。悪性腫瘍があったって生きることはあきらめない。当然すぎるじゃないですか。人生は、勝って、成功するためだけにあるんじゃありません。そんなことのためだけに、私は生まれて来たのじゃありません。

おひまな方は、こちらこちらも、どうぞ(笑)。

Twitter Facebook
カツジ猫