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おいてかれてる

このごろ、気晴らしに読む文庫を行きあたりばったりに買うのが、わりとよくあたるのでうれしい。新しい作家たちの水準がすごく高くなっているのかもしれないが、ここのとろずっと、はずれがない。
先日イオンの本屋で買った、宮下奈都「誰かが足りない」近藤史恵「ときどき旅に出るカフェ」も、どちらも楽しめた(以下ちょっとネタばれ)。
おいしい料理やケーキを出す店(ただし前者は店そのものはほとんど出ない)が話の中心だが、どちらも細やかでセンスがいいのに、まったくちがう味わいで、いっしょに読んでもごちゃごちゃにならない。

「誰かが足りない」の方を先に読んだのだが、最初の二話を読んだあたりで、優しく繊細な筆致のくせに、昔の近代文学の純文学もかくやと思うぐらいの破壊力で、やばいぞ何かに引き込まれる鬱病にならんといいがと思ったぐらいの暗さだった。本当に陰々滅々のおどろおどろしい暗さだったら、こっちも覚悟するし、こけおどしみたいで驚かないのだが、そんな風情はちっともなく、大人しくてつつましくて明るくて、でもよしてくれーと言いたくなるぐらい、若者も年寄りも状況に救いがない。具体的には特に悲惨でもないまあまあの状況だから、なお恐い。アウシュビッツや原爆投下後の町や爆撃されてる沖縄や、そういうわかりやすい悲惨さとはちがう、別にいいやんと言われてしまいそうな状況ならではの悲惨さだ。こういうのの方が変なホラーよりよっぽど恐い。

私も意地で、こんなのにひるんでなるかと先を読んだら、最後はそれなりにその悲しみや恐さをたたえたまま、静かに穏やかに幸福っぽく軟着陸した。それなりにすごいものを読んだかもしれない。今の人たちの不幸や苦痛に触れて慰めて救うには、こういう風でしか力にはなれないのかもしれない。

似たようなことは「ときどき旅に出るカフェ」でもあって、こちらも一見おしゃれでほんわかしているから、読んでいると幸福になるし、軽くミステリ風の謎解きも読み進めたくなるスパイスとして効いている、本当によくできた話だが、ヒロインの状況は恋人もいないし職場での位置も不安定だし、下手したらハードボイルドの探偵風に孤独で先の見えない、闇とは言わないまでも薄暗がりだ。それでも彼女はそれなりに楽しみを見つけて、つつましく生きていて、見ていると幸福そうでもあって、ああ、こういう女性の生き方が定着して来ているのかとちょっと感無量にもなる。

昔だったら、家庭の主婦が子育てや夫の世話で安定と幸福を見出していて、それは本当はちっとも安定でもなきゃ最終ゴールでもハッピーエンドでもないのに、そういう風に描かれて皆そんなもんだと納得していた。今や、結婚にも出世にも展望がなく、夢も野心もなく、日々を生きてる女性の姿が、こんなに力強く暖かく魅力的に描かれて、それに皆が不自然さを感じない時代になったんだなあと驚く。いろんな点で、優しくおしゃれなお菓子のようでいて、この小説は、恐ろしく不穏で過激でもある。そこが最高なんだけど。

こんな不幸や幸福を抱いて、自覚もして、生き始めている人たちに、企業や政治が何をできるのか、よっぽどよく考えないと難しいぞ。いや、学問も、芸術も、報道も。下手に動くと傷つけるし、ぶちこわす。動かないでいると、おいて行かれるだろう。

学術会議の件で、スガ内閣が何をねらったのか意図がわからないと書いている人がいる。そりゃ何も言わんのですからね。たしかにわかりません。
少なくとも、「説明をしない」「責任をとらない」内閣というのは、見えてきましたけど。
今の私に、スガ氏の意図など考えてみるヒマなどないし、同じくらい不毛なことかもしれませんが、何でテレビドラマ「極主夫道」は、原作漫画にない、子どもを作ってくっつけたのかも、ちょっと考えてみたく思っています。

「極主夫道」の設定(ヤクザの大物が足を洗って主夫道をきわめる)という話は、ぶっとんでいるようで、実は最初に述べた二冊の文庫本で描かれた、新しい時代の未知なる感覚と、つながるものであったような気がしてなりません。
それをおそらく何も感じとれないままに、安易に子どもを設定してしまった脚本はじめドラマのスタッフには、もうとっくに「おいて行かれている」決定的な時代錯誤もあったのではないかという予感もするのです。

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カツジ猫