お父さん、お母さん
11月から集中講義が始まりますので、いつものように連絡用の掲示板を「協力者列伝」のコーナーに作りました。受講予定の学生は見ておいて下さい。
あ、書くと言ってた宿題を片づけておかなくては(笑)。
ホークスの小久保新監督が「美しい」プレーやチームをめざす、みたいなことを会見で述べていて、それでふと連想したのですが、私の友人に、「お父さん」「お母さん」と大人が言うのを、もう激怒して軽蔑して忌み嫌う人がいます。他はむしろ温厚で優しいひとなのですけどね。どうも、これだけは許せないらしい。以前にニキビのCMで、かわいい若者たちが「お父さんがすすめてくれて」みたいに発言しているのを、口をきわめてののしっていました。「みっともない、いい若者が」「恥ずかしくないのかね」「ニキビなんかより、よっぽど、その言葉遣いが醜いわ」などと(笑)。
それでつい私も気になって、まあ私だって特に身近な人が、身内の人を「お母さん」「お姉さん」「社長さん」とか呼んだり敬語を使ったりすると、そりゃもう反射的にこりゃなんじゃとは思います。はっきり言って内心ずっこける。しかしテレビやラジオでいい大人が口にするのは、もうあきらめて慣れてしまって、友人ほどは怒り狂いません。しかし、聞くたびに「ああ、彼女、怒ってるだろうなあ」と反射的に思って、その分、ちょっと意識もします。
アスリートやタレントが、たまーに「父が」「母が」と言うのを聞くと、すごく一日楽しかったりするから、まあ私も友人のことは言えないかもしれない。
特に何だか気になったのは、たしかホークスの選手の誰かだったんですが、きれいに「父が」「母が」と話すひとがいて、すごく印象深かったんですが、いつの間にか、その選手も「お父さん」「お母さん」と言うようになった気がする。もしくは言うのを避けてるか、もしくはいなくなっちゃったのか、そこはよくわからないけど。
もしかしたら、周囲の仲間から「父が、母が、なんておまえ何気どってんだよー」などとからかわれて、忖度自粛したんじゃあるまいなーなどと、あらぬ想像までしてしまって。そうでなくても無言の圧力で、少数派でいることに負けたのかとか。
小久保監督はたしか「美しい」について「インタビューのときの受け答え」もあげてたような気がするのですが、ならば、ととっさに思ったのは、選手が皆、この際、「父が」「母が」みたいに言うようになってくれたら、すごいけどなあ、と夢のようなことを思い描いたのですよ。ついつい。
ところで、庭の黄色い花は、盛えに盛えて、ものすごく、しかも切り花にしたら、長持ちするだけでなく、それはもう華やかで、見てるだけで楽しい。去年はまったく咲かなかったくせに、刈り込んだのがよかったのかなあ。抜いてしまわないで本当によかったわ。しかし、その内、庭中にあふれちゃったらどうしよう(笑)。