ぎゃわ!
とんでもない大失敗。ばたばたしてて、その一方でだらけてたからか、八月初めの初代猫のおゆきさんの命日を忘れてしまっていた!
二十五年間続けてる愛猫のキャラメルの命日どころか、彼女の命日は一九〇〇年代の終わり頃に彼女が死んでから何十年も一度も欠かしたことも忘れたこともなかったのになあ!
気がついたのは昨日の夕方というか、むしろ夜。お花屋さんも閉まっているし、何の準備もしてないから、薄暗い中、車でスーパーに行き、ありあわせの花(お盆なのか立派なユリがあってよかった)やチュールやフードを買い込んで、何とかかっこうつけてお供えをした。ごめんよ、ゆき。
お供えの写真はもうちょっとユリが開いてから撮ろう。
あのクマゼミが死んでからというもの、朝からやかましかったセミが家の回りでさっぱり鳴かない。前に茶色のアブラゼミも見たから、まさかあのクマゼミが唯一のボスだったのではあるまいし、他のセミが追悼のために沈黙してるとも更に思えない。それにしてもぱったり鳴き声が消えたのは不思議だ。さっきはツクツクホウシが鳴いてたし、もう季節が変わって来たのかしら。
そう言えばあいかわらず暑いけど、どこか涼しいし風も吹くのは台風のせいか気のせいかと思っていたけど、奥庭では放置しまくりで衰えていたバラたちが、突然あちこちでしけていじけているけれど、小さな花を咲かせはじめた。夏も盛りを過ぎたのか。もうすぐ八月が終われば、来年の手帳とカレンダーを注文しなければいけない時期に入る。ああ、本当にどうしよう(笑)。
とか言いながらだらだらと、また「ジム・ブラース物語」なんか読んでる。いつの間にやら文庫本四冊のもう三冊め。変わり映えのしない話のようでいて、何だかちっとも退屈しない千変万化の展開ぶりだ。
主人公の若者は何だかじわじわ出世して、大司教かなんかの召使いになって、しかも寵愛されている。仕事ぶりがちゃんとしてるし能力もあるからだけど、「顔が気に入った」とかよく雇い主に言われてるから、外見もそこそこいいんだろう。それもとんがった所がない悪目立ちしない感じのいい見かけなんだろう。どーでもいいが、ホークスの選手なら栗原選手か山本捕手みたいな感じかな(笑)。
その大司教は講演が得意で、評判もいい。主人公は大司教が相当うぬぼれで自分の説教を自慢してるのがすぐにわかるのだが、どこを誉めてほしいかもわかるので、感想を聞かれてその部分を誉めたら大司教はやたら感動して、おまえのためなら何でもしてやろうとまで言う。そしてひとつ命じるのが、「自分の説教がつまらなくなったり衰えたりしたと思ったら、かならず正直に批判し、指摘してくれ。遠慮して批判しないで、他の人の批判が先に耳に入ったら、おまえはクビだ」みたいなこと。あわわわわ。相当厳しい注文でしょうがそれ。現代でも通用しそうな難題ではあるよなあ。
その後、司教の説教が実際つまらなくなったので、主人公は迷った末に、やんわりと欠点を指摘してみる。すると大司教は怒って、「おまえの鑑賞力も鈍った」みたいな失望を示して、結局クビにしてしまう。まあ予想もついてないことはないけど、やっぱりまあ理不尽というか、こんなこと今でもよくあるなと思ってしまう。古典って大衆文学でもあなどれないわい。
写真は庭のバラたちですが、私が切り花にするのが遅れて、かなり、しょたくれているのもあります。でも、何とか面影を残しておいてやりたくて。数日前は皆もっときれいだったんですよ。








