ラフな格差論18-たとえば、ジル・アイアランド
美人女優の二人の夫
最近亡くなった声優の野沢那智さんは昔「0011ナポレオン・ソロ」という海外テレビドラマのイリヤ・クリアキンというスパイ役のデビッド・マッカラムの吹き替えをしていた。その印象が強かったためか、他の映画でもドラマでもマッカラムは野沢さんが吹き替えていた。
マッカラムは「大脱走」という映画でチャールズ・ブロンソンという俳優と共演していて、実生活でも親友だった。彼の妻もジル・アイアランドという女優で、後に彼と離婚して親友のブロンソンと結婚する。きゃしゃで金髪色白のマッカラムと黒髪で筋骨たくましいブロンソンとではアイアランドさんの男性の好みはどうなっているんだろうと思う一方、私も二人の男優がどちらも好きだったから、わからないでもなかった。映画好きの友人がウィレム・デフォーのファンで、「彼を見ているとマッカラムとブロンソンの両方に似ていて、アイアランドの気持ちがちょっとわかる」と言っていたのを聞いて、更に何となく納得した。
殺人的に演技が下手
まあこういう俳優の好みを見ても、私や友人の美の基準は普通じゃないのかもしれないが、しかし、少なくとも私たちの好みや評価が多分世間と大いに一致していたと思うのは、ジル・アイアランドが美人だったということだ。
これも別の友人が昔「山猫」の映画を見た時、クラウディア・カルディナーレの登場場面で、「あれが西欧では美人なのかもしれないけれど、そうは思えないので、映画の筋がわからなくなる」と嘆いていたように、外国の女優の美しさはよくわからないところがある。姉の美貌に劣等感を抱いて悩む妹の方が、どう見てもきれいに見えたりする例などは珍しくない。
その点、アイアランドは、多分、黒目黒髪だったと思うのだが実に文句なく顔も身体も美しい人だった。
ブロンソンはアイアランドを非常に愛していたようで、彼女が死んだすぐ翌年ぐらいに悲しみに沈んだまま死んだと聞いている。たしかにそうだろうと思うのは、彼は自分の主演映画の数本に妻の彼女をヒロインつまり相手役として登場させた。ブロンソンはいい役者だったから、多分演技の上手下手はわかっていただろうから、それで彼女を登用したということは、相当愛していたんだろうなと思わざるを得ない。
それというのが、私も最初のデフォーファンの友人も、彼女が出た映画を見たのだが、私たちがしみじみ実感したのは、いくら大根役者とか下手とかいろいろ言われたって、ふだん私たちが見ているハリウッドの男優女優は何だかだ言ってもやっぱり演技はうまいんだなあということだった。
それがはっきり初めてわかったぐらい、ジル・アイアランドは下手だった。
徹底的に不愉快ではなかった理由
私はもちろん英語がわからない。それでも聞いていて、見ていて、どこがどうとも言えないが、この人は絶対に下手だとわかった。とにかく大変きれいだし、表情もしぐさもちゃんとしている。それでもなぜか、ものすごく下手とわかった。私たちは怒ったり笑ったりするより、そんな彼女を使ってやるブロンソンの意気に感じ入った。
まあこれは友人と私の感想にすぎない。今もう一度見たら評価が変わる可能性もまったくないわけではない。
しかしとにかく私には、彼女の演技はうまいと思えなくて、もちろん感動もしないで、そしてそういう時に、ただ美しい人を見ているだけで目の保養になるかというと、せいぜい、不愉快にならないだけ助かったという程度で、彼女の出ている場面はただひたすらに、味気なくて退屈だった。
美しい人は、その外見だけで魅力的にはなれるわけではない。たしかにあれが醜い女性であの下手さだったらもっと不快だったろうから、それだけでもましということはあるだろうが、だがそれももしかしたら、ジル・アイアランドその人の持っていた人柄の良さがにじみ出ていたのかもしれないと思うのだ。演技は下手でも彼女の姿のどこかには、まじめに一心に演じていることがうかがわれ、演技すること、映画に出ることが好きでうれしくてならなくて、夫に感謝し失敗しないように一生懸命がんばっているのが伝わってきた。最後まで仲の良い夫婦だったのを知って私がそう意外でなかったのも、その印象があったからだ。だが、しつこく言うが、だからと言って映画の彼女の出る場面がつまらなかった慰めにはならない。
他愛もない思い出と言えばその通りだ。だが、外見と、能力と、人柄の関係がどんなに重要でまた微妙か、人の魅力というものがどうやって作られるのか、などについて考えていると、いつもふと、彼女の映画を思い出す。