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ぎりぎりまで迷いましたが

こっちも急だよ! ほんともう、ふざけんじゃない!

今夜は「オール4区」の会議があり、ぎりっぎりまで迷いましたが、休ませてもらうことにしました。体調はだいぶよくなってはいるのですが、風邪だかコロナだか花粉症だかは、まだ今ひとつ、ぱっとしない。大事をとることにして、買い物もやめて、家でありあわせのものを食べて、片づけ仕事にはげみます。

ただ、これも身体によくないんだよねえ。今日もまた、捨てられるはずだったものを点検していたら、私が学生時代に思い切って買った画集がばっさり二つ折りになってたばねられているし、腰が抜けるほどびっくりしたのは、私の子どものころの教科書や、母が文通していたドイツの女性から送ってきた、ピーター・ラビットの親戚みたいなネズミの小さい絵本(作者はイーダ・ボハッタという人らしい)が、これもう宝物だったんだよね、幼い私には。意味もわからないまま、絵をずっと見てて。それも全部ごみの中。その女性の写真もはさんだまんまで。やめてーもう。

幼い私は、なぜかこの絵が一番好きでした。押し入れに入っているのが楽しかったりする子だったのよね。(クリックしたら、大きくなります。)

これが捨てられていたら立ち直れなかったろうという恐怖と、捨てられたものの中にこれに匹敵するものもたくさんあったのだろうなという戦慄。

それ自体もがっくりなんだけど、もっと呆然とするのは、こんなのもうわが家では歴史的文書みたいなもので、奥の奥にしまいこんで、私も開いて見たことなんかないのよねずっと。それを全部開けて見たわけか。と思うだけでも何だか知らない人の手で、下着の中まで肌をまさぐられたように、全身がぞわぞわする。で、また半日、寝込んでしまった。いかんよもう、こんなことでは(笑)。

風邪かコロナのせいか知らんけど、だんだんショックに対する耐久力がなくなって行くなあ。何とかしなくてはいけない。何とかしなくては。

そんな時に読むのも何だが、垣谷美雨の「あなたの人生、片づけます」を面白く読み飛ばした。片づけ専門のおばさんが、細やかに思いやりがあって泣かせるし、いろいろ楽しいのだけど、無茶なこと言うと、片づけようと決意してからが一気すぎるよな。実際には、それからが、もっと行ったり来たりなんだけど、まあそんなこと言ってもしょうがないか。

それと、事故の被害者の家族同士の交流で救われる、って話も、まあたしかにそういうことあるし、回りの他人に比べれば、被害者同士しか理解し合えない心の通い合いっていうのもあるにはちがいないけれど、ただ、私なんかはむしろ、何かの事件や事故の被害者になったとしたら、もう想像しただけで、一番いっちばん、やりきれないのは、同じ被害者や遺族どうしとつきあわなくてはならないだろうなということなのよね。裁判とか、その他いろいろで、そうせざるを得ないだろうし、私はむしろ、その中で、「同じ被害者同士」の間で強烈に違和感や孤独を感じそう。それは無理じゃないことで、死んだ人も残った人も、皆事情はちがうんだもの。わかりあえることを前提にされちゃ、たまらない。
個人的にはまだ私、何もわからず無神経なこと言ってくる周囲の人の中にいる方が、ずっとずっと救われる。このバカが何もわかっとらんくせにと思いながらでも、まだその方がずっといい。

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カツジ猫